世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」

今年32冊目読了。東京都知事を務めた作家出身の筆者が、1983年に書き上げた「若きエリートからなる模擬内閣が日米開戦前夜に出した結論と、その後」について、コロナ禍に関する若干の加筆、及び石破茂との対談を加えた形で2020年6月に新たに刊行された一冊。


牧野邦明「経済学者たちの日米開戦」で、研究機関は「日本の敗戦」を冷徹に見抜いていた、ということを知っていたのだが、全く別機関でも同様の答えが出ていて、それが大惨事の結論であるにも関わらず、そのままの歴史をたどってしまったことに、驚愕を禁じ得ない。


大筋としては「昭和16年12月8日の開戦よりわずか4か月前の8月16日、平均年齢33歳の内閣総力戦研究所研究生で組織された模擬内閣は、日米戦争日本必敗の結論に至り、総辞職を目前としていた」というものであるが、筆者の精緻な取材、及び筆致によって、グイグイと惹き込まれるような文章に仕上がっている。


こと話の骨子である「総力戦研究所研究生は、国家を背負って立つべき者とされそのキラ星の如き逸材を青田買いのように吸収しようとした」「模擬内閣という字面から受ける印象は、ゲームのような遊びに似た匂いである。しかし、それゆえに、といっていいだろうが、彼らは若くて未熟であることに躊躇せず、大胆に核心に急接近していくことができた」という流れにおいて、なるほどと思わされたのは「<経済閣僚>らが、開戦に拒否反応を示したのは、彼らが数字でモノを考える習性をもっていたためである」「総力戦は単に武力戦だけでなく、経済力を含めた国力の差によって決定することになるからカネではなくモノについての数字がキーポイントになる」「総力戦研究所の模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが事態を曇りない眼で見抜き予測した点にある」あたり。これは、コロナ禍対応を迫られる現代においても大事な視点だ。


それにしても、合理的な回答が出ていながらも、時代の要請から「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということをみなが納得しあうために数字を並べたようなものだった。赤字になって、これではとても無理という表を作る雰囲気ではなかった」という証言から、「コンピュータが、いかに精巧につくられていても、データをインプットするのは人間である、という警句と同じで、数字の客観性というものも、結局は人間の主観から生じたもの」「 『やる』という勢いが先行していたとしても、『やれる』という見通しがあったわけではなかった。そこで、みな数字にすがったが、その数字は、つじつま合わせの数字だった」ということが起こっていたことは明白だ。
後知恵で、「当時の日本は熱狂していて、とても対米敗戦を言える空気になかった」なんてのが、いかに偽りであるか。でも、ごく一部の人間の視野狭窄によって、その結果に導かれていく。冷徹に事実を見ることは、歴史の反省を活かすためにも必要なことだ。


そして、東條英機についての分析も「日米開戦の原因を、『東條』という一人の悪玉に帰するのは、あまりに単純すぎる話しである。しかし勧善懲悪の図式は、いまだにひとつの常識である」「東條は天皇の忠実な臣下であった。彼は軍人としてのファンクション(職分)のなかで生きてきた。理念や思想があれば彼に制度の壁を破ることを期待するのは可能だが、それは望むべくもなかった」と、妥当だと感じる。彼に全てをおっ被せて、あとは知らんぷり、という姿勢が、未だに敗戦の過ちを総括しきれない一因に感じる。


政治についての「政治は目的(観念)を抱えている。目的のために事実が従属させられる」「政治的リーダーの役割は、数値目標を示しながら、みずからの言葉で国民に説明し協力を求めることなのだ」「大上段に歴史意識などという言葉をふりかざす前に、記録する意思こそ問われねばならぬ」という記述は、後に筆者が東京都知事になったことを考え合わせると、なんとも言えない不思議な感覚がある。


2021年に読むと、「持たざる国日本と、持てる国アメリカとの石油政策は対照的であった。アメリカの対日輸出政策は、完全に日本の窮地を知り尽くしたうえで計画的に実施された。これに対し、日本の輸入政策は、その日暮らしの場当たり的なものでしかなかった」「いったい戦争の後のことを考えているのか」のあたりで、コロナ禍の後を見据えているのか?という政府の右往左往っぷり、そしてマスコミと国民のヒステリックぶりを見るにつけ、また昭和16年から20年の系譜を辿るようにも感じて、暗澹たる気持ちだ。この教訓と、向き合わないと、と感じさせてくれる。