世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】保坂正康「あの戦争は何だったのか」

今年16冊目読了。ノンフィクション作家、評論家の筆者が、第二次世界大戦に呑み込まれていった当時の日本の実態を炙り出し、単純な善悪二元論を排して「あの戦争」を歴史の中に位置づけることを試みた一冊。


これは、非常に面白い。「いわゆる平和教育という歴史観が長らく支配し、戦争そのものを本来の”歴史”として捉えてこなかった」ことが、「日本人全体が、歴史としての『戦争』に対して”あまりに無知”となるに至った。知的退廃が取り返しのつかないほど進んでしまった」という指摘は、まったく正鵠を射ていると感じる。


昭和初期になると、急速に日本は軍国主義化に傾いていくが、筆者は「二・二六によって刻み付けられた”テロの恐怖”は以後、あらゆるところで影響力を及ぼしていくことになる」「”テロの恐怖”が拡がったのをいいことに、軍はそれを巧みに利用していく。『軍のいうことを聞かなければ、また強権発動するぞ…』と、暗にほのめかすのだ。そうすると政治家たちはみな腰が引けてしまい、軍に対して何もいえなくなってしまう」という点、及び「二・二六は当時の日本のある状況に、大きな爪あとを残すことになる。それは『断固、青年将校を討伐せよ』と発言した天皇の存在である。天皇は、その後一切、語らぬ存在となったのである。まるで自らが意思表示することの意味の大きさを思い知り、それを怖れるかのように」という点を挙げ、ターニングポイントとみなす。


その後、日本と日本人は冷静さをどんどん失っていく。昭和15年には「『皇紀2600年』の大式典は、『天皇に帰一する国家像』を象徴するものであり、日本は理性を失った、完全に”神がかり的な国家”に成り下がってしまった」。そして、昭和16年12月8日、ついに太平洋戦争に突入した時の日本の「空気は『二二六事件』に端を発した”暴力の肯定”で神経が麻痺していく感覚と似ているようにも感じられる。鬱屈した空気の中でカタルシスを求める。表現は悪いかもしれないが、”麻薬”のような陶酔感がある」「人間のDNAの中に、”暴力”の支配下での陶酔感に浸れる資質のようなものがあるのかもしれない…」と分析する。


この戦争については「決定的に愚かだったと思うのは『この戦争はいつ終わりにするのか』をまるで考えていなかったことだ。当たり前のことであるが、戦争を始めるからには『勝利』という目標を前提にしなければならない。その『勝利』が何なのか想定していないのだ」「どの国とも異なって、まずは軍部が先陣を切って戦争という既成事実をつくりあげ、さてそれから戦争目的があたふたと考えられ、国民にはとにかく戦争に協力城、勝たなければこの国は滅ぼされると強権的に押さえつけることのみで戦われたのだ」と断じる。「軍事指導者たちは”戦争を戦っている”のではなく”自己満足”しているだけだ。おかしな美学に酔い、一人悦に入ってしまっているだけなのだ」と軍部を批判したうえで「国民の側も、ウソの情報に振り回されていた。国民自身が、客観的にものを見る習慣などなかったから、上からもたらされる”主観的な言葉”にカタルシスを覚えてしまっていた」と、これまた問題が大きかったと述べる。


筆者は「戦争の以前と以後で、日本人の本質は何も変わっていないのだ」「高度成長期までの日本にとって”戦争”は続いていたのかもしれない。ひとたび目標を決めると猪突猛進していくその姿こそ、私たち日本人の正直な姿なのだ」と断ずる。


では、どうすべきか。「自分の私的な体験を普遍化して、いかに歴史の流れに重ね合わせることができるか、それで始めて知的な行為となりうる」という原理をしっかりと押さえ「危機に陥った時こそもっとも必要なものは、大局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた」「戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入り込んでいく。現実を冷静にみないで、願望や期待をすぐに事実に置き換えてしまう。太平洋戦争は今なお私たちにとって”良き反面教師”なのである」ということを肝に銘じる必要がある、と感じさせられた。


戦争終結のメッセージを首相自ら国民に向けて送る国会演説の草稿で、下村定陸相が「”敗戦”ではなくて”終戦”としてほしい」という注文に対して発した、東久邇宮首相の一喝こそが、我々が21世紀に持つべき立場、視座のように感じる。
「何を言うか、”敗戦”じゃないか。”敗戦”ということを理解することころからすべてが始まるんだ」