世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】福田和也「第二次大戦とは何だったのか?」

今年144冊目読了。慶應大学歓喜や情報学部助教授にして、幅広く執筆活動を展開する筆者が、戦争の世紀とその指導者たちについて掘り下げていく一冊。


独自の視点で、なかなか面白い。一般的に流布しているイメージを疑うことで見えてくるものがある、ということを痛感させてくれる。


第二次大戦については「ヨーロッパにとって、第二次世界大戦は、第一次世界大戦の延長戦なのである。第一次世界大戦でつけられなかった決着が、あるいは中途半端に停止した清算の過程を、もう一度指導せざるを得なかった」「イギリスやフランスはもとより、ドイツ、ソビエト、日本の各国も、その致命的な利益を実現するために、世界戦争を必要とはしなかった。」「なぜアメリカは戦争を欲したのか。アメリカ中心の国際秩序を構成するためである。第一次世界大戦で、壊し残したイギリスの世界覇権システムを完全に破壊することこそがアメリカの戦争目的だった。つまりはイギリスから世界帝国たる基盤のすべてを奪い、植民地帝国なき世界を、つまりは自由で開かれた諸国家の世界ではをつくり、その上に君臨すること」と、その本質を分析する。
さらに「メディアにより流布されたイメージにもかかわらず、第一次世界大戦の指導者たちの方が、第二次のそれに比べれば、その歴史的意義は比較を絶して大きい」「第一次世界大戦のような持久戦は、内政問題によって戦争指導者が脅かされざるをえない。そのため市民生活に負担をかけず、そしてまたその束縛を受けない次元で戦争を遂行する手段として、高度に機械化されたプロ集団による短期決戦という構想が生まれた」「フランス人は、第一次世界大戦の猛烈な被害に震撼して、二度目の世界戦争から『おりた』のだ」「第二次世界大戦は、日本が世界秩序構想をかかげて戦った、つまりは世界史に積極的に、主体として戦った戦争である」と、さらに独自視点で深掘りする。


第二次世界大戦の戦争指導者たちに対する評価も、興味深い。「ド・ゴールの権威はといえば、彼がフランスが降伏したその日から、戦いの継続を叫び、一日たりともその呼びかけを止めなかったという事だけなのだ。そしてこのような狂信が、現実の帝国を拝見とした政治家を打ち負かしてしまうという不思議。」「勝者の側にとっては、ヒトラーを『悪魔』に祭りあげることは、自分たちの勝利の輝かしさと正当さを、極限にまで拡大することに役立ち続けている。それだけではない。ヒトラーをいわば陰謀の天才とすることによって、戦勝国側がなしてきたさまざまな失策を免罪することができる。つまり、すべては悪たるヒトラーが望み、企み、実行したのであり、良心的な人間の判断では到底防ぎようがなかったのだ、と」「ヒトラーは敵を殺したが、スターリンは仲間を殺した」「軍にしか基盤がなかったのは、蒋介石だけだ。このことは、蒋介石のみならず、辛亥革命以降の中国近代史を考える上で決定的である」「蒋介石は、英米と結ぶ道を選んだ。そこに蒋介石の、そして、中国革命自体の歪みがあるのではないか。今日にいたるまで、中国の愛国プロパガンダは、日本敵視によって構成されている。それは、日本人であるからこその見方からかもしれないが、彼らが一度も、戦うべき敵と戦うことがなかった故の、自信のなさと慮りのいたらなさの故ではないか」「東條の場合は、縦割りになった組織の頂点をいくつも兼ねただけである。縦割りの、棒状の組織をいくつ束ねても、太い束が出来るというだけのことで、けしてピラミッドがの組織になりはしない」「二世が跋扈しはじめると、官僚組織は、覿面に硬直化をはじめる。外の空気や文化をよく知っているものたちが、排除をされてゆき、身内の利益とそのルールがどんどん既成事実化していく。組織の生理が、そこに所属すゆ人間たちの意識を縛り、視野を決定し、ついにはその視点からしか物事を考えられなくなり、扱えなくなってしまう。そしてかくも硬直化した組織において、東條は理想的なリーダーだったのである」などは、なるほど!と納得できる。


また、大戦の起点となった民族意識については「『人種』とは、人を『人間』という『同一性』で把握する限りにおいて、否応なくあらわれる『差異』なのである」「愛国心は国民の一体性、すなわち民族意識と、逸脱した存在の排除によって維持される」と読みとく。


リーダーについての「政治家たちが当面の致命的課題とかけはなれた問題に意識を集中することで現実を逃避することは、危機が深刻であればあるほど、よく見られる現象である」「あらかじめ織り込まれているその場かぎりのものでしかない言説の消費財としてのあり様は、まさしく私たちの、つまりは二十世紀以降に地上に生まれ落ちた者たちの本質を写している」という言及は、今なお生々しいし、国家という括りにおいても、自らが所属する組織においても、十分に留意する必要がある。


歴史は勝者の、そして指導者の都合の良いように描かれ、ついそれを無批判に受け入れてしまう。そこに対する警鐘を鳴らしている良書だ。読み応えがあった。