世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】平野啓一郎「カッコいいとは何か」

今年120冊目読了。ヒットメーカーの小説家が、「カッコいい」という事について掘り下げて思索し、追及する一冊。

 

 


何故、カッコいいについて考えるか、は「『カッコいい』は、民主主義と資本主義が組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、『カッコいい』とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することができない」「『カッコいい』という強い憧れの感情は、アイデンティティに深く食い込んで、その人の人生を本当に変えてしまう力を持っている」「『カッコいい』について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えること」と大胆に提起する。


カッコいいの歴史背景として「恰好が良い、は『あたかもよし』」「恰好が良い、は、明治、大正、昭和初期と、決して形容詞化された今日の『カッコいい』ほど頻繁に使用されたわけではなく、またこの言葉がそのまま『カッコいい』に変化したわけでもない」「自然美という人間には手出しできない世界が基準とされているわけではなく、『恰好』の理想像は、社会的なもの」と見ていく。


カッコいいの特徴として「単一的で、安定した永遠不変の存在ではない」「新鮮な驚くべき喜びであり、また非日常的」「①見た目が『カッコいい』(表面的)②一見すると平凡、滑稽だが、本質的に秀でている。両者のギャップが『カッコいい』③優れた本質が、矛盾なく外観に現れ、存在自体が『カッコいい』」「『カッコいい』の条件は、魅力的、生理的興奮、多様性、他者性、非日常性、理想像、同化・模倣願望、再現可能性」「ジャンルを横断する、あるいはジャンルを超越した理想像」「画一的な上からの押し付けではない」「マスメディアを介したその絶大な影響力故に、反対の立場に立つ者を脅かす」「何を『カッコいい』と思うかという判断には、個人のアイデンティティと破格結びついた意味がある」などを挙げる。


カッコいいと体感については「『しびれる』ような強烈な生理的興奮で、非日常的な快感であり、一種、麻薬のように人に作用し、虜にする」「『カッコいい』ものは、体が反応する快感を与えてくれるので、どうしても見たくなり、また欲しくなる」と触れ「体験だけでは不十分であり、その核には必ず体感がなければならない。幾ら物語がお膳立てされていても、体感が実質として備わっていなければ、つきあうだけ面倒。体験と物語の重要性とは、『体感』を中心とした『経験する自己』と『物語る自己』との最適化に他ならない」とする。


カッコいい、の周辺概念については「『恰好がよい』は、規範的な理想像に合致しているという判断」「義理は、人倫の空白を埋めるために求められた」「『クール』は、取り乱すことがないという態度」「アメリカ的な『クール』とフランス的な『ダンディ』は、世代的に分離しつつ、相補的に60年代以降の『カッコいい』を形成していった」「ダンディズムは、社会が平和な時にしか花開かない。戦争になれば、オシャレどころではなくなる」「憧れの存在に、自分の未来を重ねようとする『カッコいい』に対して、『かわいい』は過去を見ている。『かわいい』存在は刃向かわないイメージで、しばしば自立しておらず、庇護を必要とする」「『クール』にせよ『ヒップ』にせよ『ダンディズム』にせよ、共通した美徳の一つに自己抑制がある」と分析する。


さらにその流れで、男らしさについて「①死を恐れず、敵と戦う勇気②正義のために、体制に背く反抗③説得力のある言葉を発する力④セックス・アピール⑤家族を守ること」「兵役が悪しき『男らしさ』を広めてしまった」「戦争と英雄的な『男らしさ』との関係は、第一次世界大戦で破綻する。大量殺人兵器が導入され、なす術もなく殺され、異臭の立ち込める塹壕に何ヶ月も閉じ込められている酷たらしい戦場は、カッコよさとはほど遠かった」と指摘する。


カッコいい、を追い求める弊害として「カッコ悪い存在は、人から笑われ、侮られ、同情され、馬鹿にされる」「多くの人間にとって重要なのは、『カッコいい』ことよりも、『カッコ悪くない』こと」「男性誌女性誌の『カッコいい』、『かわいい』指南は、本来、個人にとっての個性的な理想であったはずの『カッコいい』『かわいい』を画一化する」がある、と警鐘を鳴らす。


では、カッコいいとどう向き合うべきか。「私たちは、結局のところ、『カッコいい』存在に『真善美』を期待している。さもなくば、それは、社会の『人倫の空白』を埋める機能を果たし得ない」「『カッコいい』には、人間にポジティブな活動を促す大きな力がある。人と人とを結びつけ、新しい価値を創造し、社会を更新する」と触れた上で「『カッコいい』は、悪用の懸念が常につきまとう以上、やはり常に倫理性を問われざるを得ない。それを欠いては、私たちはこの価値観を本当には享受できない」「たった一つの『カッコいい』存在に忠実である必要はなく、むしろ『カッコいい』を巡る自分の自由な変化にこそ、忠実であるべきである。新しい『カッコよさ』の発見は、新しい自分自身の発見であり、また、それに魅了されている他者との新しい出会いでもあるからである」とまとめる。


カッコ悪く生きてきた自分としては、なかなか勉強になった。世の中の流れを捉えるという観点、そしてコロナ禍において人間が切り離された「体感」の重要性に言及している点など、かなり興味深い。とても新書とは思えない分厚さだが、読み応えは充分。ファッションや音楽は、興味がないので読み飛ばしたが、このへんも興味ある人にはたまらんのだろうな。お薦めの一冊だ。