世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】川田稔「昭和陸軍の軌跡」

今年109冊目読了。名古屋大学大学院環境学研究科教授の筆者が、陸軍は組織として政治を動かすべきと考えた永田鉄山の構想とその分岐、そして昭和陸軍のその後の興亡を描き出す一冊。


永田鉄山から石原莞爾武藤章、田中新一らに引き継がれていくその思想は、妄想だけではなく、かなり現実論から出ていたことが理解でき、「陸軍幹部の暴走により、大日本帝国は崩壊した」というのはちょっと違うという意外な事実を認識できた。


もともとの永田率いる統制派の志向としては「陸軍が組織として、陸相を通じて内閣に影響力を行使し、軍の考える方向に国家を動かしていくこと」「陸軍の実権を掌握していた長州閥の打破と、国家総動員に向けての体制整備」「戦争準備は対ロシアを主眼と死、その当面の目標を『満蒙に完全なる政治的勢力を確立する』ことにおく。そのさい中国との戦争のための準備は、それほど大きな考慮を必要とせず、単に『資源獲得』を目的とする」と、その後の泥沼の日中戦争は回避する考えであったことがわかる。


また、情勢認識もそれなり妥当である。「現代の戦争は長期の持久戦となる可能性が高いため、経済力が勝敗の決定を大きく左右する」「次期対戦は不可避であり、それはドイツ周辺からおきる可能性が高い」「ヨーロッパ情勢から、陸軍中央の統制派系幕僚は、相当な余力を残した状態で日中戦争に対処する必要があった。次期世界大戦への対応を考慮し、軍事的弾力性とそれを支える人的物的国力を温存しておくことは、陸軍として必須のこと」「基本的にはドイツの短期間での対ソ勝利は困難だと判断しており、そう都合良くはいかないだろうとみていた」あたりは、事実その通りになっており、なぜこれだけ大失敗したのかと首をかしげたくなる。


後知恵で判断してはいけないなぁ、と感じるのは「満州国についての考えをまとめた1932年ころには、まだナチス政権は成立しておらず、その一党独裁国家のイメージはソ連を一つのモデルとしていた」「昭和陸軍は、ドイツとの関係を必ずしも固定的に考えていたわけではなかった。常に米英提携など他のオプションも念頭に置いており、国際情勢についての一定の判断によって、オルタナティブの一つとして選択していた」のあたり。教科書はあらすじだけを追うので、こういったプロセスが抜け落ちてしまう。これは大きなことだ。


亜細亜に死活的利害をもたないアメリカとの間に、妥協不可能な対立はありえず、日米間の問題は政治的に解決可能だ」「イギリスのみに攻撃を限定し、アメリカからの軍事介入を避けることが、状況によっては可能だと考えられていた」あたりは、対米をかなり意識しており、「日独伊三国同盟ソ連の連携による圧力で、アメリカ参戦を阻止し、日米戦を回避しながら大東亜生存権の建設を実現しようと考えていた」「日米戦が長期の国家総力戦となることは想定されており、その犠牲が、日中戦争でのそれをはるかに超えることとなることは予想された」など、当時の陸軍首脳も日米の国力差についてはよく理解していたことがわかる。
とはいえ、「欧州大戦を通じて、日本の大東亜共栄圏構想は、アメリカの世界戦略と正面から衝突することとなったのである。その結節点となったのが、イギリスであったといえよう」となるに至り(この見解は、なかなか日本人の感覚からは認識しづらいが、慧眼だと感じる)、ついに日米開戦の戦略として「戦争終結の方向については、軍事的にアメリカを屈服させることはできず、独伊と連携してイギリスを屈服させ、欧州での足掛かりを失わせる。またアジアからも、日本の海軍力によって米勢力を一掃する。こうしてアメリカをアジアと欧州から切り離して孤立させ、その継戦意志を喪失させることによって戦争終結を図る」と考えるに至る。どっちにせよアメリカには勝てないが、外部要因で何とかするしかない、という至極まっとうなことを考えていたことがここからも見える。


しかし。「第二次大戦は、アメリカにとっても、日独にとっても、イギリスをめぐる戦いであったが、独ソ戦ドイツ敗北などによって日独によるイギリス屈服の可能性はなくなった。このような状況下、陸軍において新たな政戦略を構想しうる有力な幕僚は現れなかった。したがって東条は、これまでの構想にしたがって場当たり的な対処によって事態を弥縫していく方法しかとりえなかった」という悲劇的史実に至ってしまうわけで。いかに大きな構想力と、それを現実にあてがっていくか、ということが大事かがよくわかる。そして、日米開戦前にはそれなり考えられており、考える幕僚もいただけに、残念至極である。


それ以外で気になったのは、現地視察によって石原莞爾華北政策への意見を転換したことと、ドイツ視察時期によって武藤章ナチス台頭前のドイツを視察し、その後アメリカを視察)と田中新一(ナチス台頭後のドイツを視察)の意見がまったく異なるようになったこと。現地、現場を見ることは大事だが、「自分はその側面の一部しか見えていない」という自覚を持つことが非常に大事だ、と感じる。


なかなか骨太で、歴史に少しばかりの造詣がないと読みこなせないが、それだけの価値がある新書だ。