世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】アルフレッド・W・クロスビー「史上最悪のインフルエンザ」

今年81冊目読了。テキサス大学教授にして、アメリカ史、地政学生態学歴史学を専門とする筆者が、1918年から1919年に猖獗したにもかかわらず、忘れ去られたパンデミックについて解き明かす一冊。


400ページを超えるハードカバー本だが、コロナ禍のため、図書館で相当待たされた(そりゃそうだ)。そして、その記述は、色々と2020年を生きる我々の参考になる。


1918年のスパニッシュ・インフルエンザについて「後にも先にも、あれほど肺の合併症を引き起こしやすいインフルエンザはなかった。しかもその合併症と言うのは、きわめて致死性の高い肺炎だった」「インフルエンザとその合併症は、今も昔も人生の最盛期にある人々より年少者や高齢者の命を奪うものなのだ。だが、1918年にインフルエンザと肺炎による死者が例年に比べて多く出た都市の一つでは、中間の年齢層にいちばん高いピークがきている」「戦争とパンデミックが織りなすものは、半世紀たってみれば、完璧な狂気模様のようである」「たった1年かそれに満たないうちに何千万もの人々の命を奪った」と述べる。


では、なぜこのパンデミックは忘れられてしまったのか。「このパンデミックが人口動態に与えた影響が、戦争の影に覆い隠される傾向にあった」「インフルエンザの足はあまりに速く、やってきたかと思うとあっというまに広がり、経済につかの間の影響をもたらしただけで、ほとんどの人がその本当の危険性を十分に認識する間もなく去ってしまっていた」「もしパンデミックが、アメリカあるいは世界で本当に有名な人物の1人かそれ以上の命を奪っていたなら、パンデミックは事あるごとに思い起こされてきたであろう。だがインフルエンザは、ウッドロウ・ウィルソンや彼の取り巻きだった人々を仕留めはしなかった」との見解は興味深い。


そのうえで、パンデミックについて「戦争という機械のフル稼働を維持しようとするよりも機械の動くスピードを落とすほうが、パンデミックの持つ危険性は小さくなるものである(※これ、機械を経済と読み替えると全く今に適用できる)」「パンデミックにかかわる要素はあまりにも多すぎ、またそれぞれの要素が互いに作用を打ち消し合ったり強め合ったりする関係があまりにわかりにくいために、その中から一般法則として導き出せるものは非常に少ない」「パンデミックを実際に経験することなくパンデミックによる壊滅的な状況を本当の意味で理解できた人間はほとんどなく、ましてや地域コミュニティーでそれができたところなどまったくなかった」「葬儀屋がその仕事をまっとうできなければ、目に見えて起きることが2つある。ひとつは、埋葬できない死体がたまっていくこと、もうひとつは、遺体の蓄積がほかの何よりも人々の士気を削ぎ、ときに完膚なきまでに地域全体の気力を失わせる」「パンデミックのあいだは、民主主義もきわめて危険な政治形態となりうる。本当に必要とされるのはむしろ流行への対応で基本となることがらのすべてを掌握する、強力な中央集権である」「著名な人物の犯した誤りは、まるで当局お墨付きの、間違った方向を示している道路標識のようになってしまう」と指摘している。これは、まさに今2020年にもがっつりと適用できる話だ。


パンデミック云々を抜きにして「物事を懐疑的に見るということは、正確さを追求するうえではよいこと」「類推による説明づけは、研究への道筋を示してくれることはあっても、それ自体が証拠を提供してくれるわけではない」「自分で決断できない人間は、必然的に他人の下した決断を甘んじて受け入れるしかない」のあたりは、生きていくうえで非常に参考にできる指摘だ。


また、アメリカのことをマスク嫌いというが、実はこの当時にマスク着用法が制定されていたという事実や、ウッドロー・ウィルソン大統領の変節は実はインフルエンザの影響だった、など、なかなか面白い記述も多い。


「防疫上の幸運は、それを懸命に追い求める者たちの方に転がってくるものなのだ」という確信を突いた言葉が胸に刺さる。そして、クロスビー博士が引用した言葉が、すべてを物語っているようである。今の日本においては、「自己満足、無能、やまい、あるいは運の悪さといったものによって本来パンデミックに効果的に対処すべきはずのリーダーの力が麻痺してしまっていた多くの場所で、スパニッシュ・インフルエンザの流行は、あの黒死病に匹敵するほど致死的なものになっている」が重くのしかかる。そして、「ものを怖がらなさすぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい(寺田寅彦)」。今だからこそ、分厚い本だが読むべきと感じる。