世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】岡田英弘「世界史の誕生」

今年79冊目読了。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授の筆者が、世界史というものをどう捉えるのかを広い知見と視野から提言する一冊。


歴史というものについて「千年以上もの間、中国文化に養われて成長してきた日本人にとって、歴史とは、どの政権が『天命』を受け、『正統』であるかを問題にするもの」「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのこと」「時間の細かさと奥行きの感覚は、人間の集団ごとに、文化ごとに、非常に違う。時間そのものは物理的なものであるが、時間に対する人間の態度は文化なのである。そして、時間と空間の両方を対象にする歴史も、自然界に初めから存在するものではなくて、やはり文化の領分に属するもの」「口頭伝承だけでは歴史は成立しない。暦と文字の両方があって、初めて歴史という文化が可能になる」「歴史のある文明と、歴史のない文明が対立するときは、常に歴史のある文明のほうが有利である。歴史の正当性を主張できること、現在と並んで過去をも生きているので物事の筋道を考えることによる。」「歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。ここで大きな問題は、地中海文明の歴史文化と、中国文明の歴史文化が、全く性質が違って、混ぜても混ざらない、水と油のようなものであることである」と述べる。正直、これだけで圧倒される、という深い知見だ。


地中海文明の特徴として「ヘーロドトスの著書が、地中海文明が産み出した最初の歴史であったために、アジアとヨーロッパの対立こそが歴史の主題であり、アジアに対するヨーロッパの処理が歴史の宿命である、という歴史観が、不幸なことに確立してしまった」「キリスト教化した地中海世界では、歴史はヤハヴェ神とイスラエル人の間の契約とともに始まったが、今やメシヤの出現で契約は完了し、まもなくメシヤの再来とともに時間は停止して、歴史は終わるのだ、という歴史観が主流になってしまう」「不幸なことに、ヘーロドトスの対決の歴史観と、キリスト教歴史観とは、きわめて重要な点で一致していた。それは『ヨハネの黙示録』の、世界は善の原理と悪の原理の戦場である、とい二元論である。世界はヨーロッパの善の原理と、アジアの悪の原理の戦場である。ヨーロッパの神聖な天命は、神を助けて、悪魔の僕であるアジアと戦い、アジアを打破し、征服することである。ヨーロッパがアジアに対して最後の勝利を収めた時、対立は解消し、歴史は完結する、という思想になってしまう」と、見事に洞察する。


中国文明についても手厳しい。「どの政権がどの政権を継承したかという『正統』の観念は、中国人の歴史観の中心をなす特異な観念」「中国のどんな王朝でも、政権の本当の基盤は軍隊であり、本当の最高権力は、常に皇帝を取り巻く軍人たちが握っていた。しかし軍人は文字の知識がなく、記録には縁がない。だから軍人の言い分は『正史』には表れない。これに反して科挙出身の文人官僚は皇帝の使用人に過ぎないのに、彼らの書く『正史』は、科挙官僚こそが皇帝の権力を支える基盤であり、中国の政治は科挙官僚の文人政治であったかのような、間違った印象を与えるように出来上がっている」「普遍だったのは『正史』の枠組みと表現法であって、中国の実態の方は時代から時代へと変化し続けてきた」「どの時代の中国においても、支配階級の『夷狄』のほうが、被支配階級の中国人よりも文化において優っていた」「司馬遷の『史記』が中国という世界を定義したのに対して、司馬光の『資治通鑑』は中国人の種族観念を規定してしまった。こうして正統の観念と中華思想が結びついた結果、これ以後の中国人は、ますます中国の現実が見えなくなってゆく」「元朝清朝も中国を支配した王朝ではあるが、中国の王朝ではない。その上、両王朝とも、チベットを直接統治したことは一度もなく、まして中国人にチベットを統治させたこともなかった」と鋭く指摘。これも、なるほどと納得させられる。


世界史の誕生とは、つまりモンゴル帝国であるという独自の視点が実に面白い。「十三世紀のモンゴル帝国の出現によって、中国文明はモンゴル文明に呑み込まれてしまい、そのモンゴル文明は西に広がって、地中海=西ヨーロッパ文明と直結することになった。これによって、二つの歴史文化は初めて接触し、全ユーラシア大陸をおおう世界史が初めて可能になったのである」「モンゴル帝国が一直線に、膨張に次ぐ膨張をつづけた理由は、匈奴帝国以来の遊牧王権の性格にあった。一度成立した王権を維持するためには、君主は部下の遊牧民の戦士たちに絶えず略奪の機会を与えるか、財物を下賜し続けて、その支持を確保しなければならない」「モンゴル帝国が十三世紀から後の世界に残した遺産は、中央ユーラシアの遊牧民だけではない。ユーラシア大陸の定住民も、多くはモンゴル帝国の影響を受けて、現在みられるような国民の姿を取るようになった。その顕著な例は、インド人であり、イラン人であり、中国人であり、ロシア人であり、トルコ共和国トルコ人である」という展開は、正直、今まで考えたこともなかった。


翻訳の難しさが、理解をおかしくしているという指摘も流石。「ローマ帝国は『レース・プーブリカ』であり、元老院と民衆の共有財産。そこに実力で君臨した『アウグストゥス』たちの資格は、正式には『元老院の筆頭議員』でしかない」「ローマ『帝国』とローマ『皇帝』はどちらも誤訳で、明治時代の日本人が、中国史の知識をあてはめて西洋史を理解しようとした苦心の産物ではあるが、こうした誤訳は、現在に至るまで、日本人の世界史の理解を誤るという、悪い影響を残している」「『民族』は、日本国民は全て血統を同じくする『大和民族』であるという、長い間孤立を保ってきた日本でだけ通用する特殊な観念から生まれた言葉である。民族と言う観念は、そもそも実体のないフィクションに過ぎないが、民族主義イデオロギーが普及するとたちまち、同じ言語を話す『民族』は、同じ先祖の血統に属する『同胞』であるという、過去の事実を無視した感情が支配的になる」あたりは、知らないこととはいえ、唸らされる。


現代史における指摘も「ソ連共産党ソヴィエト社会主義共和国連邦は1991年に消滅した。これは社会主義自体に原因があるというよりは、経済成長競争において大陸国家が、より効率のよい海洋国家に負けたということである」「長い長い間、ロシアでも中国でも、支配階級は外来者であり、ロシア人とか中国人とかいうのは、被支配階級の総称に過ぎなかった。そのためロシア人にも中国人にも、無責任・無秩序を好むアナーキックな性格が濃厚であり、強権をもって抑圧されなければ秩序を守ろうとしない」など、納得感がある。


日本についてはどうか。「日本の建国は、倭人と華僑が唐帝国に対抗し、皇帝の支配から自身を護るための措置であった。ここに始まった日本文明は、対抗文明の宿命として、それを構成する文化要素は、すべて中国文明のものにそっくりであり、歴史の枠組みもその一つである」「日本の歴史学が研究対象としなければならなかった3つの文明、日本文明・中国文明・地中海=西ヨーロッパ文明が、それぞれ全く異なった歴史文化を持っていた。その根本的な差異に引きずられて、本来ならば一元的な世界観に立つべき歴史学が、分野ごとの違った形を取るようになってしまったのである」と自説を展開。これも、本当になるほどと思わされる。


結論として述べている「文明の内的な、自律的な発展などという幻想を捨てて、歴史のある文明を創り出し変形してきた、中央ユーラシア草原からの外的な力に注目し、それを軸として歴史を叙述することである。この枠組みでは、十三世紀のモンゴル帝国の成立までの時代は、世界史以前の時代として、各文明をそれぞれ独立に扱い、モンゴル帝国以後だけを世界史の時代として、単一の世界を扱うことになる」は、もはや嘆息するしかない。


人は、どうしても自分と周囲が同様に習い、身に着けた知識や見方を当然だと思ってしまう。そこに、大きな視座の転換を要求してくる。これは本当に良書だ。