今年50冊目読了。京都大学教授(動物行動学)から、総合地球環境学研究所初代所長に就任した著者が、自然の魅力と見方を平易に伝えるエッセイ。
人間の特性として「解明して得にならないことがわかっていても、つい探ってしまう、探らなくてはいけないという気持ち。いいかえれば、それが人間の最も生得的なところではないだろうか」「人間は自然を破壊するものだ。そうはっきり認識しておくほうが、よっぽど自然を守ることにつながる」と、鋭くえぐり込む。確かに、そのとおりだよな。
具体的に、どのように世の中に向き合うかについてのヒントは「目の前のなぜを、具体的に、議論するのではなく、なぜだろうと考える。ある意味では、目の前の対象は具体性があるから強い」「人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。そこをカバーするには、自分の中に複数の視点を持つこと、ひとつのことを違った目で見られることではないかと思う」のあたり。相対化、現実・現場主義というあたりは、非常に体感とマッチする。
今後、人間はどのような価値観と哲学をもって生きていくべきか、については「真理があると思っているよりは、みなイリュージョンなのだと思い、そのつもりで世界を眺めてごらんなさい。世界とは、案外、どうにでもなるものだ。人間には論理を組み立てる能力がかなりあるから、筋が通ると、これは真理だと、思えば思えてしまう。人間といういきものは、そういうあやしげなものだと考え、それですませてしまうこと。」「神であれ、科学であれ、ひとつのことにしがみついて精神の基盤とすることは、これまでの人類が抱いてきた弱さ、幼さであり、これからはそういう人間精神の基盤をも相対化しないといけないのではないか」と述べる。自分の説の正しさにとらわれず、保留しながら他の視点を取り入れ続ける、というあたりは、千葉雅也「勉強の哲学」と一脈通じるところがある。
研究、検証についてもバッサリと行く。「科学というのは論理を展開していき、データを見てそこからものを推論するように思っている。けれども、実際にはどうもそうではない。データをとること自体、まず思い付きから始まっているんですよ」というのは、すべての着想について言えることなのではなかろうか。
人生の構えとして「人の知の限界を自覚したうえで、新たな事実が現れた時に自分の認識や考え方を修正していくために余地を残しておく」ということを、しっかりと保持していく。その割り切れない気持ち悪さを持てる幅こそが、人間の幅、ともいえよう。本当にさらりと読めるながら非常に奥が深く、超おすすめの一冊だ。