ブックカバーチャレンジをきっかけに、本棚に置きっ放しの「スポーツ関係」本を読んでみて、気づいたこと。
●記憶は美化される。
マリーンズファンなので、2010年、パリーグ3位からの大逆襲で下克上による日本一を成し遂げた監督・西村徳文「和の力」は、当時即買いして、興奮して読んだ。
しかし、10年の月日を経て読んでみると、結果の出た事について後付けで美談ストーリーを織り込んでいるようにしか思えない。特に、発刊の翌年に最下位に沈み、そのまま立て直さずに監督を解任になった事実を知っているので、尚のこと、そう感じる。
●自己目線では、像が歪む。
あわせて、2005年にマリーンズを31年ぶりの日本一に導いたボビー・バレンタイン監督について書いた高木徹「バレンタイン流マネジメントの逆襲」を読んだ。こちらは、当時の熱狂と、それを自慢するバレンタイン監督をドキュメンタリー形式で描いたもの。
これも、年月を経ているので、いかがなものかという部分も多いが、第三者(NHK 取材班)の目を通しているので、勢いだけでなく、冷静に「ワンマン体制」では限界があるのでは?と指摘しているあたり、感心する。結果、これから4年後、銭ゲバと堕したバレンタイン監督が球団、ファンを巻き込んでチームをぶち壊したことからしても、よくこの時点でここまで書けた、と思う。
他方、西村監督の本は「ロッテ一筋で…」とか書いてあって、「お前、今、オリックスの監督じゃん!」と突っ込まずにはいられない。
ま、批判ばかりしても仕方ない。振り返って、この人間が陥りやすい罠を回避するには、どうしたら良いか。
●記録を残す
●第三者的に振り返る
ということしかなさそうだ。
自分の過去すら、後付けで美化してしまう特性がある以上、テキストか動画でその場のリアルを残さないと、後の振り返りがおかしくなってしまう。かつ、振り返る時には、当時の自分と距離を取らないといけないので、動画ではつい感情移入して罠にハマる。
…となると。やはり、日記という伝統的テキストが優れている、ということになるのだろう。