世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】ブルンヒルデ・ポムゼル+トーレ・D・ハンゼン「ゲッベルスと私」

今年36冊目読了。ナチス宣伝相ゲッベルス元で3年間働いた秘書に対し、ドイツ政治学者・社会学者である著者がインタビューを行い、それに基づいてその経緯と考察をまとめた一冊。


これはなかなか衝撃の一冊だ。ヒトラーの秘書であったトラウデル・ユンゲが最終的には自分の愚かさ、罪を認めているのに対し、ポムゼルは終始他人事のままのように感じられる。


ポムゼルの独白は、どこか淡々としている。「貧しい人が多く住む特別な界隈を人は見たいとは思わなかった。そして目を向けなかったから、見えなかった」「大きな変化にはみんな気づいていた。でも、日常的にはそれを意識せず、いつもどおりの生活を続けていた。そうした変化がどれだけ大きなものだったか理解できたのは、ずっとあとになってからだった」「人々は多くを知りたいとは、まるで思っていなかった。むしろ、不用意に多くを背負いこみたくないと思っていた」というあたりは、まさに「目を背ける」時代の標準的な雰囲気だったのだろう。


そして、自分が(なりゆき上とはいえ)ナチス党員になり、意志決定の中枢のすぐ近くにいたにもかかわらず、それに対する反省はほぼないに等しいことに恐怖を感じる。「人間はしょせん、自分自身のことをわかっていないのよ」「どうすれば防げたかなんて、私にはわからない。間違った人に付き従ってしまう愚かな人間は、いつの時代にも存在するわ」「私の中に罪の意識はないわ。私が何かをしたというのなら、たしかに私にも罪がある。でも、私はただ運が悪かっただけ」「私はこれまで生きてきた中で、自分で気づいている以上に多くの犯罪者とかかわったのかもしれない。でも、前もってそんなことがわかりはしない」などの言い放ちっぷりには、唖然とするどころか、戦慄すら覚える。若干の救いは「どんな状況でもしてはいけないのは、無批判に何かに従うことよ」と述べていること。どの口が言っているんだ、ではなく、この経験をしたからこそ重い、と感じる。


聞き取ったハンゼンは、多くの警句を発信している。「単純で過激な方法を用いたデマゴーグによる民衆の扇動は、当時も今日も効き目があるのだ」「ポピュリストたちは、威嚇のシナリオを作りさえすれば、その内実を探られることなく、苦も無く世論を操れることになる」「右翼ポピュリストが勢いを増すのは、自由民主主義のエリートが、社会的弱者や学歴が低い人々の生活状況に対して傲慢で無関心な態度をとっているから」というのは、まさに今の世界と往時のナチスドイツの共通点ともいえる。


残念ながら、人間の行動特性から「不公平感は、すべての住民集団を過激化させるおそれがあり、これらの集団を単純で邪悪な目的のために動員しようと、仮想上の敵まで必要としている」「私たちはみずからの無関心と受動性によって倫理を崩壊させてしまう危険性があるのだ」「脱連帯がゆっくりと進んだ後には決まって脱人間化が続く。思いやりや連帯といった人間的な本能が排除される社会は、民主主義をもはや必要としない醜い社会だ」という哀しい法則が待ち受けている。この罠を、いかに潜り抜けるか。


「社会に安心と信頼感を醸成するには、マイノリティに対する寛容さと、その保護を求めるリベラルな要求だけでなく、具体的対策が必要になる」「私たち人間は内なるモラルの基準を、単純で、近視眼的で、陳腐で、表層的な目標のために、あるいは見せかけの成功のために、たやすく犠牲にしてしまうのではないか?」「われわれ投票者が不安を抱けば抱くほど、選ばれるのは巨大な臆病者になる。そして不安を司る者は、権力の座を守るためにすべてを犠牲にするだろう」との指摘は、今だからこそ重く受け止める必要がある。ゲッベルスが述べた「宣伝の秘訣は、いかにも宣伝らしくではなく、相手にそうと気付かれないうちに宣伝にどっぷりと浸らせてしまうことだ」に陥らないためにも。