世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】クリストファー・ブラウニング「普通のひとびと」

今年25冊目読了。パシフィック・ルター大学やノース・カロライナ大学チャペルヒル校で教鞭をとるアメリカの歴史学者が、ホロコーストに関与し、わずか500人に満たない第101警察予備大隊が83,000人もの犠牲者を出した事実と背景を描き出した一冊。


読んでいて、恐怖と戦慄を覚える。ゴリゴリのナチス党員やナチ親衛隊ではなく、もともとはハンブルクの警察官であったメンバーで構成されたこの組織が、恐るべき殺戮を行うようになっていき、まさに「アウシュヴィッツへの道は憎悪によって建設されたが、それを舗装したのは無関心であった」を体現するかのような世界を生み出してしまった。その背景を探るのは、まさに「普通の人びと」が嵌まり込む恐れのある罠を浮き彫りにしてみせる。


当初は、「そのほとんどは、大勢のユダヤ人を射殺したからがぶ飲みをした。というのは、こうした生活は素面ではまったく耐えられないもの」と認識していた警官たちが、なんと「これから殺されるという精神的苦痛を与えない迅速な死が、人間的思いやりの模範だと考える」に至るというおぞましいことになっていく。それはなぜなのか。


最初は「警官たちが自分の立場について持つ関心は、同僚からどう見られるかであり、それは人間として犠牲者と繋がっているのだという感情よりも強いもの」であることから始まる。そして「恥の文化は順応を最優先の解くとする」ことによって「仲間から孤立したり疎外されたりする社会的死を選ぶよりも、恐るべき犯罪へ駆り立てられた」。そして怖ろしいことに「他の多くのことと同様、殺人も人が慣れることのできるもの」であったため、「問題となる行動が他者に危害を加えることを伴う場合、加害者は犠牲者を罰するに値するものだと理解しがち」になり、「感情が麻痺し凶暴化してくるにつれて、彼らは人間性を奪われた犠牲者を憐れむよりも、彼らに負わされた不快な任務ゆえに自分自身を憐れむようになった」。その変化が克明に記されており、めまいがするほどだ。


筆者が見抜いているとおり「戦争と悪しき人種的ステレオタイプ化はとは、冷淡さを相互に補強しあう」ものであり、また「すべての現代社会において、生活の複雑さ、それによってもたらされる専門化と官僚制化、これらのものによって、公的政策を遂行する際の個人的責任感覚は希薄になってゆく」。
戦争と人種差別主義がどこにでも跋扈しており、人々を動員して自らを正当化する政府の権力が増大している世界では、「大量殺戮を犯そうとする現代の政府は、わずかの努力で普通の人びとをその自発的執行者に仕向けることができるである。私はそれを危惧している」という筆者の懸念が現実になりつつある。ホロコーストは、過去の歴史上の過誤ではなく、今ここで人間が直面している危機への警句と捉えることが大事だ。


「説明は弁明ではないし、理解は許しではない。加害者を人間味のある言葉で理解しようとしないのであるならば、ホロコースト加害者の歴史の研究が、平面的な劇画化を克服してゆくことも、不可能になってしまうだろう」という指摘は、正義と悪に二分して「正義が悪を叩く」という単純構造に陥りがちなネット社会に対しても説得力がある。自分が人間なら、相手も人間。その「想像力」を失ったところにこそホロコーストが発生したわけで、21世紀においても形を変えて発生しうる。その認識こそが、その発生を防ぐ唯一の手だてだと感じる。