世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】堀江敏幸「なずな」

今年20冊目読了。ひとりの赤ん坊を中心にしつつ、田舎の村での何気ない日常が赤ん坊にかき乱されながらも穏やかに進む日々を描き出した一冊。


実に不思議な読書感だ。子育てに関わった経験がある人なら、生き生きと風景が浮かび上がるような春の薫風のような穏やかな筆致。淡々としているようで、少しずつ変化が生まれ、それを生み出しているのはまさにひとりの赤ん坊。それを取り巻く人々の、緩やかで温かい絆もまた、人生の持つ素晴らしさを感じさせてくれるし、子供が大人をつなぐ交流点となっていることを改めて思い出させてくれる。


「人が人と接するときは、知り合ってからの時間や関係の深い浅いだけではない、タイミングというものがあるのだ」「人を見る目なんて、そうあるものではない。現在位置を教える神の視点はあっても、私たちの変化まで予知できるような視座はどこにもない。間近にいる人間と、とにかく愚直に言葉を交わし、『いま』を見定める――その繰り返し以外にないのだ」というあたりは、穏やかなれども鋭い視点。


「日々のなかで最も厄介で、最も慎重にならざるをえないのは、小さな相違を抱えている者同士の言葉のやり取りだろう。戦のおおもとには、いつもそういう局所的ないさかいがある。『諍い』はただの口喧嘩ではない。言偏でできた、言葉の争いでもある」「気持ちの伝わりやすい動線とはなにか。それはたぶん、定石ではなくて、戦いながら、そのたびに判断を下して描いていくほかないものだろう」というところは、気持ちが揺さぶられるが、現実である。


「子連れの行動の難しさは、大勢のなかにまぎれることでしか解消できない部分があるのだ。広大なショッピングモールに家族連れが詰めかけるのは、自分たちだけに厳しい目が向けられることがないからだろう」「時間は巻き戻さないけど、なにも嫌なことまで巻き戻す必要はないでしょ、巻時計っていうのは、先に進めるために巻くんです」なども、非常に練り込まれた観察と文章力。


子育て前の人、乳飲み子を育てている人、そして子育てが進んでどちらかというと「思い通りにならない子供」に苛立つ人。そんな人に、子供と世界の素晴らしさを思い出させてくれる良書。学生時代の友達が薦めてくれて読んだが、本当に良かった。自分からでは絶対に読まない一冊だった。