世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】井筒俊彦「意識と本質」

今年130冊目読了。慶應義塾大学名誉教授を勤めた東洋哲学の思想家である筆者が、精神的東洋の深淵に迫った一冊。

とにかく思索が深くて、なかなか理解しがたい。ただ、噛み砕いていくと、その深さに驚嘆しきりだ。

そもそも、本質というものの認知について「己の外に本質、あるいは本質的なもの、を見なければ、意識は志向すべきところを失う。しかし、志向すべきところを全く持たない意識は、意識としての自らを否定するほかない」「本質などというものは本当はどこにも実在していない。そのないものが、あたかもあるかのように見えてくる」「事物の客観的認知を可能にする、媒体としてのこの普遍性をこそ、普通、我々は本質と呼ぶのである」と述べる。

また、人間の感覚については「普遍者が瞬間的に自己を感覚化すると言ってもよい。そしてこの感覚的なものが、その時、その場におけるそのものの個体的リアリティーなのである」「もともと人がある対象に愛着し、あるいは嫌悪を感じるのは、さまざまな事物が差別されて意識に映るからであり、事物が差別されるのは実在がさまざまな存在者として分節されるからである」と述べる。

さらに、文化の違いについては「存在全体をどう文節するか、どこに区切りの線を引き、どんな事物を立てるかは文化によって違っている」「深層意識に生起する元型そのものが、文化ごとに違うのである」とする。

結局、本質とは何か?については「無極にして太極、無極でありながら同時にそれがそのまま太極である」「第一段階でそれぞれに本質を与えられ、整然と分節されていたさまざまな事物は、第二段階で本質を奪われ、分節を失う。第二段階から第三段階への移りにおいて、それらの文節は全部また戻ってくる。しかし、分節は戻るが、本質は戻ってこない」「経験的世界のあらゆる存在者が本来、無本質なのだと思い定めることが禅者の向上道の第一歩である」「存在分節の事態そのものとしては、誰の目の前にもまったく同じことが起こっているのだが、すべての分節の根源である無分節の境(意識・存在のゼロ・ポイント)を実際に自分で通ってきた人とこない人とでは、その同じものが、まるで別のものに見える」と、到底この本を読み進めないと理解できない結論に至る。

骨太な本は、頭を鍛えてくれる。興味があれば、挑戦してほしい。