今年122冊目読了。昭和の名作家が、国宝・金閣寺が寺の青年僧によって放火・焼失するという事件を、告白体の名文によって小説化した一冊。
美と屈折、死と生、執着と諦念、羨望と侮蔑。人間の中に渦巻く数々の情念を、事件を起こした青年僧の内面から描き出す。息苦しいながら、スピード感溢れる筆致で、グイグイと引き込まれた。そして、それらの情念について深く向き合わざるを得ない感覚。さすがの名作だ。
何を細々と述べても、本書の魅力は伝えきれない。せめて、名文を抜き書きしておこう。
「もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心とした多くの暗い心の持主が企てた建で築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂することができずき、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。」
「そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在していないという贅沢な不満から生れるものではないのか。」
「人の苦悶と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細によって、明るく、和やかにする」
「どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。」
「認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。」
「虚無がこの美の構造だったのだ。そこで美のこれらの細部の未完には、おのずと虚無の予兆が含まれることになり、木割の細い繊細なこの建築は瓔珞が風にふるえるように、虚無の予感に慄えていた。」