世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【イチロー引退によせて:仰木監督の命名の凄さ。】

いまさらイチローの凄さについては素人が語るまでもない。そこで、あえて「オリックスでブレイク前に仰木監督が『イチロー』と名付けたこと」について、考えてみた。

《ポイント》
●カタカナ表記も、すんなりは行わず。
今やだれが見ても「イチロー」が当たり前。しかし、少し待ってほしい。鈴木一朗をカタカナで書け、と言われたら「スズキ・イチロウ」となるのが普通(むしろ当然)である。アナウンサーの読みやすさ、見た目と音の軽やかさから「イチロー」としたのだろうが、そのセンスの良さはその後の活躍で名前が幾度となく呼ばれるたびに痛感させられた。二番煎じの「サブロー」まで活躍したのだから(かつ、千葉マリンで「サブローーーーー」と伸びるアナウンスが定番となった)、やはりこの表記は秀逸だ。

●ローマ字表記、自身の綴りのルールとも逸脱する。
ローマ字表記も、ひとひねり。「ICHIRO」の表記はヘボン式綴りどおりなのだが、実は仰木監督自身の綴りはヘボン式の例外で「OHGI」なのだ(通常は「OGI」となる)。自身の綴りのとおりに書かせるなら「ICHIROH」となる。しかし、それにこだわらず、これまた見栄えの良さを選んだのだろう。尤も、当時話題になったのはイチローよりパンチ佐藤であり、彼の背中表記は「PUNCH」なのだから、仰木監督の頭には「インパクト」しかなく、ルールより先んじていたのだろうが。

《問題の所在》
●失敗には恐怖が伴う。
人間、だれしも失敗はしたくない。しかし、当時自ら「パ・リーグの広報部長」を名乗っており、「話題になったもん勝ち」状態で仰木監督は「攻めていた」。近鉄を優勝に導いた名将であり、オリックスブルーウェーブに身を転じて「いかにマジックを見せるか?」と思われていた中での一手。失敗したら単なる笑いもの。しかし、仰木監督にとってはそんなことは眼中になかった。

この恐怖の克服の仕方は、のちに千葉ロッテマリーンズの優勝捕手となり、またWBC世界一の捕手ともなった里崎智也氏が述べているのが面白く、真に迫っているように感じる。いわく「なんでも言ったもん勝ち、仮に外したとしてもその時には人は忘れている」。このくらい、周囲の眼なんて気にせずやり切るほうがいいのかもしれない(事実、彼は2005年「俺に風が吹いている」、2010年「史上最大の下克上」と語ってマリーンズを日本一に導いた)。

自戒の念を込めて。