今年の御神籤は、大吉(人生史上初)。でも、仕事の今後の見通しを考えると「今年が大吉とは…」という状況。そこで、考えてみた。
《ポイント》
●もともとは、神の意思を問うもの。
近世に至る前には、自然をはじめとして、人間はほとんどのものがまさに「人智を超える」世界であった。故に「なんでもいい、依って立つものがないと生きていけない」と考えたのだろう。それが、御神籤として今に至っている。
●情報と知恵の狭隘さを埋める残滓。
人類の進歩を支えたのは「文字」「印刷」「インターネット」(順番に、情報伝達の固定化・情報伝達の幅の拡大・情報交換の拡大に寄与した)。それらが機能していない時代には、「大いなる意図」として頼りになるものを考えるしかなかった。その時代の残滓を、未だに引きずっているのだろう。
《問題の所在》
●現代社会において、中世的意義を求めている。
これだけ様々な情報が手に入れられる現代において、「神」の意思がすべてと考えるのはそれはそれで非合理。でも、なんだかそれがすべてと捉えてしまう。中世的価値観を今に持ち込むのは実にナンセンス。
とはいえ、説明しようのない「流れ」「場」「エネルギー」というものがあるのも事実。その参考値としては意味があるかもしれない。しかし、それらはある程度「働きかけ」によって動かすことができる。
人生、いつでも「その瞬間」には、何の意義があるのかすら明確でないことも多い。振り返って、後から意味づけをしているばかりである(←だから、御神籤の答え合わせみたいなことをしても、それは自分の意味づけという遊びでしかない)。
であれば、その瞬間を大事に生き、迷った時に参考とする。そんな使い方が、いいのではなかろうか。
自戒の念を込めて。