世の中、定例的に繰り返す仕事は、概ね手順が統一されている。しかし、それが本当に適切に運用されるのは、実はなかなか難しい。そこを、考えてみた。
《ポイント》
●引継の中で失われる「趣旨」。
ルールを伝える側は、自分にとっては当然の常識であることを指導する事になる(→そうでないと、そもそも成り立たない)。となると、教わる側がなぜ理解できないのか?に寄り添いながら教えるのが極めて難しい。そして、最終的には「いいから、この手順でやりなさい!」となる。
これが繰り返すと、「なぜ、このルールなのか?」は失われていく。
●趣旨を問うより、目先の合理性。
ルールには趣旨があるが、その趣旨が共有されなくなると「ただの面倒くさい手順」に成り下がってしまう。趣旨(回避すべき危険性)がわからなくなると、面倒くさい手順を追うことが馬鹿らしくなり、目先の合理性で、ルールをないがしろにしていく。
いつしか、ルールをないがしろにした手順が(最前線の効率としては合理性があるので)定着してしまい、ルールに取って代わってしまう。
《問題の所在》
●人間は、恐ろしく面倒くさがり。
閉鎖空間で起こりがちな、こういった状況。人間が面倒くさがりであることに由来する。
もちろん、「これでいいのか?」と思う人も、最初は少なからずいる。しかし、「いいから、こうやりなさい」という指示が免罪符となり、面倒くさいという気持ちが勝ってしまい、易きに流れる。
いつしか、趣旨からしておかしくないか?という部外者が入ってきても「いいから、こうやりなさい」が蔓延しているので、同調圧力に抗せなくなる。
腐敗は、悪意からばかりでなく、法律用語で言うところの「善意(知らないという事)」からも、かなり起こり得るところが怖い。
自戒の念を込めて。