トラブル、特に謝罪会見のような状態に追い込まれることは通常の仕事ではないだろうが、よくよく考えると「自分が苦しい立場にあるクレーム対応」なんかは、かなり参考になる部分があると感じる。
《ポイント》
●防衛ラインが明確か否か。
自分が苦しい立場にあるクレーム対応であれば、無傷で突っ張りきることは極めて難しい。となると「最終的には、ここまでは折れるしかないが、ここだけは譲れない」という防衛ラインを明確化することが大事。
その点、加害選手の会見は「事実を知ってもらいたい」というラインを明確にしたうえで、それ以外の「選手としてまたプレーする」「自分の心情をわかってほしい」などは全て捨てていた。そのため、むしろ好感を持って受け入れられた。
他方、日大側の会見は捨てるものと守るものがまったく不明確。「とにかく、言うべきことは言う」とういスタンスであったため、何度やっても不信感しか生まないどころか、火に油、という状況を作ってしまった。
●「申し訳ない」と心底思っているか。
人間、相手の感情には敏感である。自分も、先輩から「電話でお詫びをするときには、立って、頭を下げながら電話しろ。相手に絵面が伝わらないなんてことはない。必ず、相手には声のトーンで伝わる」と教わった。変な言い方だが「お詫びをする役柄」に入り切れるかどうか。加害選手はある意味完璧にやりきって、日大側はまったく入りきるつもりもなかったように感じた。
《問題の所在》
●苦しい立場のときにも「主張の突っ張り」にこだわっている。
日大側の会見を見る限り、ずっと「主張の突っ張り」で押し切ろうとして、ただただ時間の経過を待っていたような節がある。
といいつつ、実は、もともとクレーム対応は苦手で、「自分の主張を突っ張って、相手がしびれを切らすのを待つ」という作戦しか取れなかった。当然、結果は「喧嘩別れ」しかなかった。しかし、ある時「クレームというのは、変な話ではあるが、相手と共に『落としどころ』を探しあう共同作業である」ことに気づいた。それから、苦情対応をうまく「相手も納得しながら、こちらも防衛線を護る」という結果を生み出せるようになった。
トラブルになると、相手と「突っ張りあう」ことで、自分がどれだけの果実を奪い取るか、という認識になりがちであるが「どこで落としどころとするか」という「共同作業」という認識になると、自然と相手と寄り添いあう形に向かうので、解決に向かいやすい、と感じる。
自戒の念を込めて。