世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【世界遺産、吉野を歩く。】

そもそも、なぜ、吉野が世界遺産なのか。

標高千数百メートル級の急峻な山々が続く修験道の聖地の中で、紀伊山地の脊梁である大峰山脈のうち青根ヶ峯までを「吉野」、以南を「大峯」と呼ぶようになった。
吉野は古代から山岳信仰の対象であったが、修験の隆盛に伴い開祖とされる「役行者」ゆかりの聖地として重視された。
山岳での実践行を重んじる修験道では、山に入って苦行を重ねながら踏破することを「奥駈」あるいは「峯入」と称して最も重視するが、吉野、大峯はその舞台である。
つまり、役行者ゆかり、及び修験道というストーリーにより、吉野は世界遺産構成資産となっているのである。この繋がりを感じることこそ、世界遺産の本質に迫ることだと思う。

真っ先に訪れたのは、バスで一気に「奥千本」まで山を登って、金峯神社(きんぷじんじゃ)。

金峯山(吉野山から山上ヶ岳までの山々の総称)の地主神である金山毘古(金精明神)を祭神とし、吉野水分神社とともに「吉野」が信仰の山となる端緒となった神社。

…いや、ここは久々に「これが世界遺産かよっ!?」と思うくらい、めっちゃ鄙びた、というか、オンボロ神社。実は、今まで、日本の世界遺産を巡った中では、京都の「宇治上神社」が、ガッカリNo.1だったのだが、あっという間にここがトップに鎮座した。
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勿論、こじらせ世界遺産マニアとしては、「逆に、なぜ、ここが世界遺産に?」とワクワクできるが、あまりお薦めできない楽しみ方である(笑)。

ここから、道自体が世界遺産である「大峯奥駈道」を歩いて、次なる世界遺産構成資産、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)へ。

古代の分水嶺に対する信仰を祭祀の起源とする神社で、俗に子守神社とも呼ばれている。12世紀には神仏習合によって祭神が地蔵菩薩垂迹とされ重視された。
社殿は、豊臣秀吉の意志を継いだ秀頼が慶長10年(1605)に再建したもの。

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境内、かなり広く、独特の建築様式。

ここは、だいぶ神社の奥行きがあり、歴史も感じられて面白い。鄙びた感はあるものの、風格を損なっておらず、感慨深い。せっかくなら、こうでなくてはね。

かなり山を下って、吉水神社(よしみずじんじゃ)へ。ここは、もとは吉水院と称した金峯山寺の一院。源義経が吉野潜伏の折りこの寺に起居したと伝えられ、後醍醐天皇が一時期行在所とした「南朝」の宮廷であったことでも知られる。

まず驚いたのは、この山中において、菊の御紋の提灯をかかげていること。南朝の皇居という経緯なのだろうが、その歴史の引き継ぎ、凄いなぁ。

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菊の御紋の提灯がある。

さらに、神社なのに拝観料を取るの?とビックリしたが、確認すると、吉水院の建物の拝観料とか。なるほど。弁慶思案の間、後醍醐天皇玉座、太閤秀吉花見の品、などを見ると、納得。これは見応えがある。
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後醍醐天皇玉座。


ここから、さらに下って金峯山寺(きんぷせんじ)へ。
修験道霊場である吉野の中心的伽藍として、また山岳信仰の霊地として平安時代中期以降信仰を集めてきた寺院。山上ヶ岳の大峰山寺の本堂を「山上蔵王堂」と呼ぶのに対して金峯山寺の本堂は「山下蔵王堂」と呼ぶ。

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蔵王堂の威容。

儀式により、閉門されていたのは残念だったが、信仰を集める大伽藍は十分に味わえた。かつ、桜をあしらった文様は、吉野山ならでは。

総じて面白かったが、歩く距離も、現地までの移動距離も長く、子供連れでは到底来ることが難しいと感じる。大人の場所、なのかもしれない。そう考えると、ふらり世界遺産旅で来て良かった。