世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【雑考:Instagramとfacebook】

 今まで一切使ってこなかったが、使ってみた、Instagram。なるほど、確かに写真がいきなり本格的な雰囲気に加工できて、これはすごい。

 …しかし。

 自分としては、なんとなく「お仕着せの自己表現」な感じがする。facebookだって、ブログだって、所詮決められたテンプレの上で動いているのだが、「文章」というのは自分なりに練り込めるし、考えることで自分の脳みそを整理する機能もある。
 だが、「写真を、用意されたテンプレで本格的に見せる(魅せる)」というのは、どうも自分の自己表現には合わない。もともと写真に記録以上の機能を求めず、故に写真が上達しないのだが、それをInstagramの用意したテンプレで本格的に見せたところで、一体、自分の中で、何を練り込み、整理し、発信したというのだろうか?という違和感がある。

 もちろん、facebookに違和感を持つ人(実際、facebook疲れでフィードをやめた人は山のようにいる)、ブログでめんどくさくなった人(というか、俺自身、世界遺産ブログから男の一人飯ブログになっちまっているので滅茶苦茶である)、などの気持ちもわかる。要は「自分が生きていくうえで、ツールの使い勝手が見えているか否か」ということだろう。

 その意味では、facebookは読書の推進及び備忘メモの作成という点で自分に貢献してくれているし、ブログは一人飯のレベル向上と世界遺産学習に貢献してくれている。ただ、どうにも、Instagramが自分に貢献してくれるイメージが、今の断面では、ない。

 使い勝手は人それぞれなので、否定するつもりもない(そんな立場にもない)が、自分は、Instagramを発信の手段としては(当面は)使わないなぁ、そんな気がした。