世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【番外編:世界遺産でない伊勢神宮】

家族で行ってきました伊勢神宮。日本の神社の最高峰であり、日本人の心のふるさと。20年に一度の式年遷宮を経ながら、技術を継承し、常若(とこわか)の状態を保つ、清浄の地。


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外宮(げくう)と内宮(ないくう)の正宮。

ところが。実は伊勢神宮世界遺産ではないのである。なんと、伊勢神宮伊勢神宮たらしめている式年遷宮。これこそ、世界遺産登録を阻む要素と言われている。


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※ちなみに、祭事を外宮、内宮の順に行うことから、この御朱印のとおり、外宮を参拝してから内宮、が正しいお詣りの仕方。

世界遺産登録されるには、顕著な普遍的価値、即ち「人類全体にとって現在だけでなく将来世代にも共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義や自然的な価値」が認められることが必要である。そのために、真正性と完全性が求められるのだが、式年遷宮で20年に一度バラしてゼロリセットしてしまう伊勢神宮には、真正性が認められない、という事。これが、ネットで一般にYahoo!知恵袋などから出てくる回答。

しかし、本当にそうだろうか。真正性の定義は「建造物や景観などが、形状や意匠、素材、用途、機能などがそれぞれの文化的背景の独自性や伝統を継承していること」である。しかも、1994年の奈良文書では、「遺産の保存は地理や気候、環境などの自然条件と、文化的・歴史的背景などとの関係の中ですべきである」とされた。となると、バラしているとはいえ、形状、意匠、素材などは伝統を継承しているし、その保存が文化的・歴史的背景から行われてきたことを考えると、寧ろ真正性を有していると言えるのではなかろうか。

では、なぜ、世界遺産ではないのか?ワタクシは、仮説だが「伊勢神宮も、地元も、そもそも世界遺産登録に興味がない」ということではないか?と考える。
世界遺産登録は、地元が「世界遺産にしてほしい!」と挙手し、文化遺産の場合はそれに基づいて文化庁が審査を行い、国としての登録申請の準備に入る、という手続きを踏む。世界遺産≠観光地、であるものの、世界遺産登録されれば観光需要が盛り上がるため、地元は「●●を世界遺産に!」と、登録に向けた活動を積極的に行う。

しかし、伊勢では、「伊勢神宮世界遺産に!」なんて雰囲気はまるでない。地元は、「お伊勢さんは、別格」という自負があるのはいつも感じるが、その思考回路からすると、「世界に1052もある世界遺産なんてものと、別格である我らのお伊勢さんを並べてもなぁ…」となるのは想像に難くない。
だいたいにして、世界遺産でないと保全ができないという状況になく(むしろ、圧倒的な保全システムを構築している)、観光地として地元活性化をする必然がまるでない(既に圧倒的観光需要がある)。これで「伊勢神宮世界遺産に!」という活動をしても、必然性がない上に、登録に向けた申請書作成などの手間ばかりかかるので、誰もやろうとしないのも宜なるかな。

必然性がないから、伊勢神宮世界遺産登録の日は来ない。それはそれで、いいのかもしれない。世界遺産が絶対不可侵かつ唯一、でもないのだから。

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