テンション低めで参拝に。それにしても、暑い!今日は32℃。坑道が12℃の石見銀山が懐かしい…神社は、思ったより広大な敷地。でも、言っては何だが「それなりの所にはある」という感想。うーん。
でも、奥に入っていくと、なかなか森深い。高宮斎場は、静謐で、御神域を体感できて、とても落ち着いた心持ちとなる。
尤も、世界遺産とはいえ、構成資産の一つでしかない宗像大社(辺津宮)だけでその価値を体感するのは難しい。というのも、中心をなすのは「神宿る島・沖ノ島(沖津宮)」の独自性であり、確かに宗像大社(辺津宮)も繋がりがあるので登録されたが、単独で「顕著な普遍的価値」があるわけではないからだ。
じゃ、沖ノ島行けよ!と言われそうだが、沖ノ島は年に一度しか上陸が許されないのだ(しかも女人禁制)。そこに合わせて行くのは相当大変なので、九州本土の辺津宮に来た次第。
ところが。「神宝館」に入って、ここの凄さを思い知った。
六世紀から九世紀にかけて、大和朝廷が中国・朝鮮との交流を図る際、宗像氏というこの地域の「海人」豪族の力を借りていた。交流、航海の無事を祈念して、また感謝して、神宿る島・沖ノ島で祭事を行い、数々の供物を神に捧げていた。しかも、遣唐使が廃止になって祭事は行われなくなっても、御神域として立ち入りが制限されたことから、荒らされることなく島は往事の姿を今に残した。そのため、8万点(!)に及ぶ国宝が出土し、「海の正倉院」と呼ばれているとのこと。
この宝物が「神宝館」で閲覧できるのだが、これが凄かった!一般的な宝物館は「それなりの展示があって、中に目玉の国宝が光っている」感じだが、ここはどれもこれも国宝、国宝、また国宝。国宝の大洪水である。時代を超えて、古代日本の交流と、世界最先端の文化が甦ってくる。どれを見ても、鳥肌もの。圧倒的、という言葉が陳腐に感じられるし、この興奮と迫力を的確に伝えられる語彙が自分にないことが口惜しい。
宝物館を見て、感動と興奮で疲れ果てたのは初めてかもしれない。いやぁ、これは凄かった!これは確かに世界遺産だよ!!来てよかった!!