雨は温泉津温泉で止んだものの、天気は曇りがち。9時過ぎの列車で、大田市へ移動。
そこから、バスで石見銀山へ。かなり人が多い。さすが世界遺産(嬉)。30分ほどで、銀山柵内である大森地区へ。しかし、ここで時ならぬ雨…でも、レンタサイクルの兄ちゃんが「大丈夫、すぐ止みます!」と言ってるのを信じる。いや、レンタサイクルは電動2時間700円、てめぇの足は何時間でも0円だから借りないけど(笑)。
幸い、小雨になってきたので、まずは世界遺産登録票を閲覧。いやぁ、テンション上がるなぁ(←世界遺産オタク)。来たね!って、実感する。
そして、銀山柵内のそぞろ歩き。街並みというか、田舎道の雰囲気がとてもいい。でも、ちょいちょい「江戸時代の建物」とか出てくるのも、また楽しい。さすが世界遺産。
ちょっと横道に入って、清水谷製錬所跡地へ。ここ、明治に鉱石を掘ろうと巨大な製錬所を作ったんだとか。僅か一年半で撤収する、という、圧倒的な見通しの悪さを今に伝える残念な遺構だが、考えてみると、コイツが一山当てていたら、ガシガシ開発されて、結果、世界遺産登録されなかったかもしれない。世の中、何がどうなるけ、わからんもんだ。
曇天のおかげで、快適な散策をしながら坑道へ向かう。そこここに掘り跡(もちろん、立ち入れないようにしてある)があり、ここのシルバーラッシュの激しさを偲ばせる。
そして、メイン観光ともいうべき「龍源寺間歩」という坑道へ。たまたま現地ガイドのタイミングが合ったので、ツアーに参加。ラッキー!
坑道は、涼しいどころか寒いくらい。なんと12℃!これは凄い。そして、掘り跡がこれまた凄い。江戸時代、鎚と鑿だけで銀を削っていたというのだから驚きだ。しかも、それで世界の三分の一も生産していたのだ!!色々な意味で、恐るべし、だ。
ガイドツアーのおかげで、色々な話が聞ける。腰に縄ではなく藁紐をつけていたのは落盤時の非常食だった(!)とか、男子に限り児童手当があったがそれは後の掘り師の確保のためだとか、失業保険制度があったがこれも幕府の労働力囲い込みとか、いやはや、政策と欲望と現実が渦巻いていたことがよくわかる。実に面白い。
街に戻るときに、また降雨。まぁ、これも長くはなかった。むしろ、かんかん照りだったらバテバテだっただろうから、よしとしよう。
昼食は、蕎麦。朝、食うところもコンビニもなかったので食いそびれていて、大盛りにしたのだが、これが大失敗!!蕎麦がボソボソしていて、全く旨くない。傲慢かましてよかですか?だが、正直、俺が作る飯のほうが旨い。こんなん、世界遺産で商売しちゃいかんだろ。御前の蕎麦は、もう食わねぇよっ!(店名を文章に仕込んであります。行かれる方は、この店だけは回避してください)。
テンション落ちて、再度観光。でも、江戸時代の風情をそのまま残す街並みに、少し元気が戻ってくる。「時代を超えたものが、今なお生きている」というのは、なるほど価値がある。ただ、人の多いこと多いこと。まぁ、自分も世界遺産でなければ訪問していないのでなんとも、だが、これだけ人が来ると保全が気になる。でも、観光で金が落ちるのが保全の原資にもなるので、痛し痒し、か…この問題、何度考えても答えが出ない。
そこから、世界遺産センターへ。どんなものか、お手並み拝見、というくらいのつもりだったが、あに図らんや、凄い充実っぷりで目を見張る。実はこの石見銀山、世界遺産登録の際に、専門機関のICOMOSからは「登録延期」勧告を受けながらも、補足資料を用意して巻き返し、世界遺産委員会で登録を勝ち取った経緯があるのだが、その熱量を感じずにはいられない。映像などを駆使して、これで入場料300円は、めっちゃ安いぞ。ついつい、じっくり拝見してしまった。
かくて、食事以外は大満足の世界遺産逍遙だった。ぱっと見の派手さはないが、裏のストーリーを知れば知るほど深くなる。そんな、味わい深い遺産だった。