世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】田中靖浩「名画で学ぶ経済の世界史」

今年28冊目読了。田中公認会計士事務所長である筆者が、名画を通じて「国境を越えた勇気と再生の物語」をツアーガイドとして解説する、という体をとった面白い一冊。


これは読みやすくて、流れを押さえやすい。専門知識を深く持つというのも素晴らしいことではあるが、こういったカタチで「難解で奥深いモノを、けっこう興味を持ちやすい形で導入してくれる」ことができるのって、やはり能力だよなぁ、と痛感する。


ペストが与えた影響について「人々を絶望させたのは、ペスト患者を献身的に看病したお医者さんほど、そして絶望に震える患者に寄り添った神父さんほど感染してしまった事実。この現実を目にした人々は教会への不信感を募らせる」「ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマ文化の再生であると同時に、イタリアがペストの不幸から再生した物語」と、コロナ禍では非常に理解度が高まる説明をしてくれる。「風呂に入ると毛穴が開いて感染すると恐れた人々は入浴しなくなり、風呂嫌いになった人々は香水で体臭をごまかすようになる。風呂嫌いはそのあとも長いヨーロッパの伝統となった」は驚愕だ。


ルネサンスについては「フィレンツェの復活の立役者は街の商売人たち、そして彼らがパトロンとなって支えた若き芸術家たち。それはまぎれもなく彼らがペストと経済危機から再生する物語だった」「ペスト禍のあと、教会は人々の間に失われた信仰心をなんとしても取り戻す必要があった。こうしてフィレンツェではローマ教会とメディチ家が手を結び、教会の増改築、大聖堂といった建造物やそこに飾る彫刻・絵画の制作に力を入れた」。そして、フランドル地方での北方ルネサンスとの交流で「北の油絵技法と南のキャンバスのマリアージュが有名な『オイル・オン・キャンバス』で、この形式が絵画界のスタンダードとなる」とする。


宗教革命の絡みでは「プロテスタントたちが団結、強敵スペインを向こうに回しての独立戦争が起こった。政治的すったもんだの末、プロテスタントたちが建国したのがオランダ。スペインに対して『勝ったプロテスタント・オランダ』と『勝ちきれなかったカトリック・ベルギー』。両国は宗教的にはもちろん、絵画でも異なる道を歩むことになる」「オランダは、寛容の精神で、商売好きであれば宗教を問わず歓迎すると宣言。北のプロテスタント各宗派、南のカトリック信者、そしてヨーロッパ中から迫害されていたユダヤ人がやってきた」「少々マーケティング色と金融色が強くなりすぎたオランダは経済的には下降線をたどったが、この国の画家たちはしっかりと力をつけ、バラエティーに富んだ『オランダ絵画』と呼ばれる新ジャンルをつくりあげた」と解説する。


フランスについては「料理と税金、この2つの『メニューの幅』は昔からフランスの伝統」「ナポレオンは、名画の一般公開をはじめた。これはナポレオン一流の大衆の心をつかむPR戦略」「フランスでは、娼婦からもらった梅毒に苦しむ伝統派に対し、モネ・バジール・ルノワールが反発、我が道を歩み始める」などに言及する。


イギリスについては「美術や絵画ではいまいちだったが、フランス革命ナポレオン戦争によって、ヨーロッパ大陸からイギリスへの美術品流入が一気に加速した」「他のヨーロッパ諸国では王室・貴族コレクションを中心にナショナル・ギャラリーが作られた。しかし、ロンドン・ナショナル・ギャラリーは金融家個人のコレクションから出発した」「まじめで合理的な『頭でっかち新古典派』に対して、もっと自由にやろうぜと反発して生まれたのが、感受性や主観を重視する『感性で生きるロマン派』」などと解説する。


アメリカについては「『経済的に成功するプロテスタントVS儲けられないカトリック』。プロテスタントたちの規律正しい生活と勤勉な態度が労働へ向けられれば、仕事の成果はあがりやすい」「アメリカのAppleしかりGoogleしかりFacebookしかり、技術力もさることながら、それを一般向けに実用化させる力に優れている」「アメリカの金持ちが印象派絵画を愛好したのは『贋作が少ない』から。歴史の浅い印象派絵画は、描かれてからの履歴、流通経路が明確であり、金持ちは恥をかく恐れなく購入できた」「イギリスからアメリカに流れてきた『禁欲的な信仰生活』精神と、アメリカで磨きがかかった『金儲けのうまさ』。この2つが合わさって、短期間にヨーロッパをしのぐ経済大国に駆け上ったアメリカ。そんなアメリカ人も派手に儲けたあとで、ふと立ち止まってしまう。『これでいいのだろうか』と。心の中に芽生える罪悪感、むなしさを埋めるようと行動するのが彼らの特徴なのかもしれない。アメリカ人は寄付やボランティアにとても積極的」などは、非常に納得させられる。


絵画にとどまらない豆知識も面白い。「イタリアに3月24日決算があるのは、受胎告知が3月25日だから」「本は、北の活版印刷技術と南の紙素材」のマリアージュによって完成した」「アメリカの首都、ワシントンD.C.D.C.は、District of Columbiaの略」あたりは、かなり驚いた。


とうてい絵画の説明とは思えないようなフレーズにこそ、この本の魅力を感じる。「歴史はただ受け取るだけではなく、能動的に『疑問を持つこと』が大切」「歴史を振り返ると、『急なグローバル』な動きのあとには何らかの不幸が表れる」「不自由であることは創造を生み出す土壌」「現状に納得できず、よりよい方向を目指す『欲』がイノベーションを起こす」「『模倣→反発→独創』でいえば、2番目の反発が強ければ強いほど、3番目の『独創』を生み出すパワーになっている」「ペスト後のルネサンスもそうだが、絵画界では何らかの混乱が起こって転換期になると、不思議に『古典への回帰』が起こる」「新技術は『圧力』。そこから逃げようとすれば、時代に置いていかれる。『うまく付き合おう』と甘い態度では、時代に飲み込まれる。立ち向かってその圧力を乗り越えた者だけが、新しい時代をつくる」「技術を磨きつつ、これに実用ノウハウを併せ、『儲ける仕組み』をつくることではじめて金儲けができる」など、枚挙にいとまがない。


これは、本当に面白い一冊だった。歴史、芸術、そして何より教訓。こんなに楽しく勉強ができるのか!!というくらいに見事だ。ぜひ、一読をお薦めしたい。

【読了】鴻上尚史、佐藤直樹「同調圧力」

今年27冊目読了。作家・演出家の筆者と評論家の筆者が、対談形式で、日本社会はなぜ息苦しいのか、コロナ禍における人々の考え方、行動などを見つめながら解き明かしていく一冊。


もともと鴻上尚史の本は「空気を読んでも従わない」を読んで、非常に納得していたのだが、2020年に襲い掛かってきたコロナ禍での日本人の振る舞いを理解するという点で、非常に読みやすく、かつなるほどなぁと思わせてくれる。


標題は強く日本人が感じていることであるが、これについては「『同調圧力』を生み出す根本のメカニズムが日本特有の『世間』。『世間』の特徴は『所与性』と呼ばれる『今の状態を続ける』『変化を嫌う』」「『社会』というのは本来、変革できるもの。しかし、『世間』は所与で、なおかつ変革も何もできない、動かない、変わらない」と説明する。


コロナ禍で日本が陥っている状況について「コロナ禍の不況で苦しくなればなるほど、強く『世間』の『所与性』(変わらないこと、現状を肯定すること)を求めたのではないか」「コロナが怖い、確かにその通りだが、それ以上に、何かを強いられることが、そして異論が許されない状況にあることが、何よりも怖い」「コロナ禍といった未曾有の事態が世界を戦時に染め上げた。戦時に優先されるのは個人の権利よりも、為政者にとって都合の良い国益。戦時なのだからということで、市民の側が持つべき権利も、政府にとって都合の悪い問題も、すべて棚上げされてしまった」と鋭く指摘する。


では、日本の特殊性は何か。「日本においては、『世間』と『社会』の違いこそが、ありとあらゆるものの原理となっている。『世間』というのは現在および将来、自分に関係がある人達だけで形成される世界のこと、『社会』というのは現在または将来においてまったく自分と関係ない人たちで形成された世界」と述べる。


世間を構成するルールとしては「①お返しのルール②身分制のルール③人間平等主義のルール④呪術性のルール」があり、その特徴として「①贈り物は大切②年上が偉い③『同じ時間を生きること』が大切④神秘性⑤仲間外れをつくる」と指摘。
これが、何を引き起こしたか。「新自由主義と『世間』は本来異なる原理を持っているので、『世間』が過剰反応を起こし、多少は壊れかけたかもしれない『世間』が復活し、抑圧が強まり、息苦しくなった」「メールやLINEは人格評価のプレッシャーがかかる」「言霊の国なのに、言葉を信用していない」「家制度は家長がすべての権限を持ち、家族の構成員の生殺与奪権を握っているから、『世間』は、親が責任を取れという」「『正義の言葉』で自分を確立しようとすることが、同調圧力を背景にした自粛警察の原因のひとつ」と説明する。


では、どうすればよいか。「強い『世間』ではなく弱い『世間』に複数所属して自分を支えるとか、『社会』と気軽につながって自分を支えるとか、方法はある」「会社で得た強さは永遠ではないんだということを、退職後に気づくのではなくて、その前に気づいたほうがいい」としたうえで「日本が世界に先駆けて、一神教という強力な支えがないまま個人であるためにはどうしたらいいか、いままさに日本人はトライアルをしているんだ。苦労する意味がある試行錯誤だ」と大胆に提言する。


日本人の弱点として触れられている「我々日本人が批判ということに対して慣れていない」「日本人は『身分制のルール』があるため、他人を信用できるか否かは『世間』のなかでどういう地位や身分を占めるかによって判断してきた。これは、それを自律的に判断する能力が、日本では育たなかったことを意味する」「僕らは肩書とか立場とかでジャッジすることになれてしまっている。そこから抜け出さないと」は、本当にそうだなぁと感じる。


面白いし、参考になる。そんな中で、自分はどうすればよいか。「世間」に流されず、自ら人を見る、自分を見るという訓練を積むしかないだろうな、と感じる。失敗しても、それによって目が肥えてくる。実力をつけるには練習しかない。そして、それは意図的に行ったほうが身につくわけで。留意したいし、新書といえども非常にためになった。

【読了】宇田川元一「他者と働く」

今年26冊目読了。埼玉大学経済経営系大学院准教授の筆者が、『わかりあえなさ』から始める組織論を唱える一冊。


平易な文章ながら、中身は非常に深い。図書館で予約して、相当待たされたのもむべなるかな。この読みやすさは、魅力だ。


基本に据えているのは『対話』であり「対話とは、一言でいうと『新しい関係性を構築すること』。なぜこれが組織論なのか。それは、組織とはそもそも『関係性』だから」「対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れ合っていくこと」と説明する。


人が一方的に解決できない適応課題を「①ギャップ型:大切にしている『価値観』と実際の『行動』にギャップが生じるケース②対立型:互いの『コミットメント』が対立するケース③抑圧型:『言いにくいことを言わない』ケース④回避型:痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすり替えたりするケース」として挙げ、その解決には「こちら側の『ナラティブ(物語)』、つまりその語りを生み出す『解釈の枠組み』が変わる必要がある」とする。


具体的な解決のプロセスは
「1.準備『溝に気づく』①自分から見える景色を疑う②あたりを見回す③溝があることに気づく」
「2.観察『溝の向こうを眺める』①相手との溝に向き合う②対岸の相手の振る舞いをよく見る③相手を取り巻く対岸の状況をよく観察する」
「3.解釈『溝を渡り橋を設計する』①溝を越え、対岸に渡る②対岸からこちらの岸をよく見る③橋を架けるポイントを探して設計する」
「4.介入『溝に橋を架ける』①橋を架ける②橋を往復して検証する →観察『溝を眺める』から繰り返す」とするのだが、この類型化がじつにわかりやすくて秀逸だ。「よい観察は発見の連続である」も、おおいに共感できる。準備の段階で「焦りや不安、怒りなどが伴っていることが準備を阻害していることもありえる。それらマイナスの感情がなぜ芽生えているのかについてもう一度考えてみて、そのうえで、観察に取り組んでみることが大切」、解釈の段階で「解釈のプロセスは、信頼のおける仲間や相棒と一緒にやるとよい。さらに最低限、自分の頭の中だけで考えず、一度書きだすなどして、客観的に眺められるようにする」は、押さえておきたい。


対話をしている中で陥りやすい罠「①気づくと迎合になっている②相手への押し付けになっている③相手と馴れ合いになる④他の集団から孤立する⑤結果が出ずに徒労感に支配される」は、それはそうなのだが、これが難しいんだよな…


耳が痛いのは「大企業病なのは、実は提案を妥協した側も同じであり、そこに加担していることに気づく必要がある」「立場が上の人間を悪者にしやすい『弱い立場ゆえの正義のナラティブ』に陥っている」のあたり。40代という自身の立場を考えても「自らの権力によって、見たいものが見られない、という不都合な現実を見ることこそが対話をする上では不可欠」ということを十分に留意しておきたい。


とはいえ、「知識として正しいことと、実践との間には大きな隔たりがある」「わかっていないことを見定めるのが何よりも大事な一歩目」「まず自らの偏りを認めなければ、他者の偏りを受け入れるのは難しい」などの示唆に富む指摘もある。
何より、著者の「人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公になること」「旧き日本の息苦しい連帯は、もはや過去のものとなった。これから私たちが紡ぐのは、互いに大切にし合い、ともに苦しみに立ち向かえる新たな連帯」「私たちは、弱さや過ちを抱えて生きている。それだからこそ、私たちには対話を通じて、よりよい未来を切り拓く希望があるはず」というスタンスは勇気づけられる。


読みやすいし、ぜひ、一読をお薦めしたい。

【読了】ジュリアン・バジーニ「100の思考実験」

今年25冊目読了。イギリスの哲学誌「The Philosophers' Magazine」編集長である筆者が、「あなたはどこまで考えられるか」というテーマで100題の思考実験を繰り出して、その問いの真意を読み解きながら考えを深めることを意図する一冊。


小4の娘が図書館で予約したものの、「あまりに難しすぎる」とお鉢が回ってきたのだが、なるほど、これは問題設定がなかなかハードル高い…歴史背景への知識が必要だったり、これは子供にはちょいと無理だな。というか、大人でも十分に難渋するレベルだ。


コロナ禍での日本の政治家の右往左往を見ていると「自分の利益を正当化する考え方のほうが、そうでないほうより説得力があるように見える。このバイアスを断ち切って偏りなく考えることは、きわめて難しい。結局、そうはしたくないのだから」「持ち合わせの信念に一致しないというだけで、ある考えを斥けることはできない。むしろ、そうするには、きちんとした理由が必要なのだ」「誰かにアドバイスを求めることで、自分自身の責任が減ると思うなら、それは甘い考えだ。実際は、アドバイスを求めることによって、責任を負うべき範囲が微妙に変わってくる。純粋に自分がしようと決めたことだけでなく、アドバイザーを選んだことや、そのアドバイスにみずから従ったことに対しても責任を負ってしまうのだ」のあたりを伝えてやりたくなる…しかし、それは取りも直さず有権者である自分にも返ってくるわけで。自戒せんとなぁ。


自己というものについても「何年も前の自分と今の自分が同じ人間かどうかについて、正しい答えは存在せず、それはわたしたちが自分自身の何に関心を向けるかによるというべき」「わたしたちが生きのびるのに必要なのは、時間を通して同一性が維持されることではなく、現在の自分と将来の自分に正しい継続性があることなのだ」「わたしたちの振る舞いはその多くが、両親と社会全体から、そのときどきに肯定され否定されることで育まれてきた習慣のようなものだ。要するに、わたしたちは、生まれたときから少しずつ洗脳されているのだ」などの問題提起を投げかけてくる。


実用的なところでは「与えられた人生をせいいっぱい生きる理由が何もないなら、生きていることはうんざりするような重荷になるのではないだろうか?おそらく、わたしたちは『もっと時間があったなら』と考えるのをやめ、その代わりに『与えられた時間をもっとうまく使えたら』と考えるべき」「新しいものはすでに知られているものとの組み合わせによって創りだされる。ひとつひとつの要素をどう組み合わせるかで、斬新さが生まれるのだ」「たとえ損をする不合理性をある程度伴うとしても、信頼というのは、人生から最大の利益を得るために必要なものだ」「哲学や古典文学の内容を知っているだけでは、知性や知恵の指標にはならない。大事なのは、わたしたちがその知識を使って何をするか」「もっとも深い信頼というのは、たとえ、相手が約束を守ってくれたかどうか確信できないときでも、進んで相手を信用することに他ならない」あたりは、意識すべきだと感じた。


とにかく難解な問題が多く、非常に読み疲れた…しかし、訳者が述べている「既成の概念や価値観を根底から揺さぶられるのは、とても心地のよいものだ。ふだん考えてもみないところに問題を見出し、深淵へと導くのが哲学の醍醐味といえるだろう」は本当にそう感じる。ただし、読むなら心したほうがいい。かなり疲弊すること間違いなし、である。

【読了】三浦崇宏「超クリエイティブ」

今年24冊目読了。The Breakthrough CompanyのGO代表、クリエイティブディレクターの筆者が、「発想」×「実装」で現実を動かすことを提唱する一冊。


筆者は、クリエイティブということについて「クリエイティブとは、非連続な成長を促し、新たな価値を生み出す多面的な思考法」と定義して「クリエイティブは、価値の『生産』と価値の『発見』」「クリエイティブの本質は演出的なスキルにあるのではなく、『革新的な変化のきっかけをつくり出す』思考法」「クリエイティブで取り組むべき喫緊の課題とは、高度経済成長期に代わってこの国を駆動する新しい『コアアイデア』の開発」と述べる。
そのうえで、超クリエイティブというものについて「①クリエイティブの力を、従来のイメージを超えて、汎用性の高い思考法として再定義している②クリエイティブの核心を『コアアイデア』という概念で再定義している③クリエイティブの役割を『発想』と『実装』の両方を含んだ『現実を動かす』力として捉えている」と、従来の考え方との違いを強調する。


経済の流れを俯瞰し、「昭和は国家と規模の時代。平成は企業と機能の時代」と読み解いたうえで「企業の成長が非連続であることが前提になった時代に突入したため、企業に求められているのは、社会の変化を予測し、対応していく力ではない。予測不可能性を踏まえ、先んじて自らが変化し、社会変化のきっかけになっていく力」と提言するあたりは、さすがだなぁと感嘆する。


「現代はスマホネイティブ。個々人がメディアを持って発信することができるという人類史上はじめての時代が訪れている」という時代において「人は、自らが接する情報に対して、主体的に反応して発信するほうが、その商品やサービスに深くコミットしていく」と指摘。「令和は、企業であっても個の『思想』や『美学』から出発したものが強い輝きと、共感を呼ぶ時代」であるため、クリエイティブに必要な要素として「『モラル』と『教養』という基礎力があり、そのうえに不可欠な『戦略』『表現/アクション』『人間力』の3要素が求められる」とする。教養とは「知識の積み重ねによって物事を大局から思考・判断できるストック型の知識であり、総合的に社会を俯瞰できる知性」と定義し、なぜ教養が必要なのか、ということは「教養とは、人類の思考のアップデートの履歴であり、それを知っているかどうかの差は非常に大きい」「誰かにとって新しい体験を与えられる表現を行うには、まずもって、それが新しいか古いかを判断できなければならない。そのためには、過去の歴史、その履歴をある程度は知っておかねばならない」「古典として残るものは、普遍的な人間感情、人間社会の真実がきわめて解像度高く表現されたもの」と説明する。これは確かに唸らされる。


新たな価値を生み出すアイデアであるコアアイデアは「『本質発見力』×『世界の複数性への理解』から生まれる」とし、「企画を考えるときに企画から考えてはいけない。必ずコアアイデアから考える。そのブランドの、その企業の、そのカテゴリーのあるべき本質的な姿、理想のあり方を考えて言語化する。本質から生まれたコアアイデアのある企画が人の心を動かし、社会に届く」と断じる。
では、どうすればよいか。「直感だけでは現実的な仕事において脆弱で、むしろ、ロジカルな思考やマーケティングを積み重ねる」「思考のジャンプには屈伸による凝縮が必要。それは、自分自身の感覚に対する内省」「本当に自分が感動するか、自分の行動が変わるか、自分がその企画にワクワクできるか、自分自身と思いっきり向き合って、自分が心から信じられる企画を、自分自身の感情・感覚の中からつかみ取る。この最後の過程をクリエイティブジャンプと呼ぶ。思いつくというよりも思い返すのに近い思考の体験かもしれない」「生き残るのは、大きな欲望を抱き、それを持ち続けた人。個の欲望を突き詰めた先には社会化があり、クリエイティブもまた社会課題の解決へと向かう」と述べる。


コアアイデアの生み方についても「ものごとの本質を見抜いて社会の中での意味を捉えなおす」「『AはBである』という本質に根差した変化のきっかけを発見するには①『社会』に対してどんな意味があるか②『未来』で広がったらどうなるか③『自分』にとって、あるいは熱狂しているユーザーの人生にとってどんな意味があるか、のベクトルで考える」「本質を掴むもう一つのアプローチは『抽象化のプロセス』。固有名詞をのぞく、時系列を無視する、行為(商品)と現象の関係性だけにフォーカスする」「複数の視点への多面的考察は、同時に『みんなが共通して持っている欲望』を発見する力につながる。時代の空気とはあくまで個の総和なので、こういう立場の人はどう感じて生きているのだろうと、個々の視点、感情をできるだけ具体的に身体的感覚で感じ取る必要がある」「人間の感情への解像度を高めるには、①己の価値観を揺さぶられる人生経験をできるだけ積む②異常な量のコンテンツに触れる」「コアアイデアに必要なAAAはAnger(怒り、社会の理不尽や不合理に怒る)、Alliance(連帯、あらゆる場所にいる仲間たちと結託する)、Accident(事件、既存のルールや常識を超えて事件を起こす)」「革新的なコアアイデアは単独の深く沈潜する思考、もしくは少人数の本質発見力の高い者同士の中から生まれる」などを提言してくれる。


チームへの考察も、非常に面白い。「クリエイティビティの高い、良いチームとは『アウトプットが個の能力の総和ではなく、積になるチーム』」と定義し「チームビルディングのポイントは①チームが持つ機能と、チームに求められている目的を一致させる②チーム内における人材の配置を正しく行う③チームの空気を気持ちのよいものにする」「人がその組織で働くことを意思決定する際の条件は『報酬』『環境』『思想』」「チームの空気作りは挨拶と『調整仕事』から」「会社とはステイタスを得る場ではなく、個がいかに動くか、いかに生きるかのスタンスを示す場。その総和が会社だとしたら、その組織がクリエイティビティを保つためには、個人の欲望を無視しないことが重要」とは、なかなか普通に暮らしていたら持てない着眼点ばかりだ。
リーダーのあり方としても「サブリーダーとひととき横に並びながら、視点と思想を共有する」「スキを見せ、その部分に関しては自分のほうが勝っている、あるいはリーダーの弱点は自分が支えられると、現場のメンバーたちが思えたほうが、チームとしてうまく機能する」という観点は興味深い。


イデアの検証に必要なポイントとして「①GOAL(プロジェクトで達成すべき目標)②Vision(企業/ブランドのあるべき姿)③Fact(武器になる企業/ブランドの事実)④Moment(着目すべき社会の変化)⑤Insight(顧客の心情)⑥Catalyst for Change(変化のきっかけになる考え方)⑦Rule(この企画が成功する内外の条件)⑧Action(実際の活動)⑨Flow(実際の段取り)⑩Image(PRの予想)」とする。
個別の説明の中で「ゴールとは何らかの新しい価値をともなった『変化』でなければならない」「ブランドとは①製品価値を濃縮した識別記号②価格を超えた品質保証③習慣を生み出すキーワード」「人々の心の中に潜在的にあった意識は言葉の力で顕在化し、社会の変革を促すきっかけとなる」のあたりは、納得性が高い。


ポストコロナの変化は「消費意識:エッセンシャル消費、ブランディング:ステイタスからスタンスへ、広告:プロモーションからブランディングへ、メディア:Nの最大化からNの細分化へ、社会の変化:衛生産業と超距離産業の確立、イベント:空間の共有から時間の共有へ、売り場:ショップからスタジオへ、個人の生き方:起業家/クリエイター/政治家等、キャリア:ヒエラルキーからコミュニティへ、クリエイティブ:発想から実装へ」と予測。「自分はどんな価値観を持って生きているのか、社会の課題に対してどんなスタンスを持っているのか、世の中に何を生み出したいのか。クリエイティブなあり方がそのまま個人のブランディングに直結する」として「どんな働き方をするか、社会で何がしたいのか、生活で一番大切にするものは何か、自分自身でデザインする必要がある」「”超クリエイティブ”とは仕事術に見せかけた、あなたがあなたの人生と闘い、意志を持ってそれを乗り越えて行くための技術」と厳しく突きつけてくる。


わび・さびが、今なお日本文化を象徴する概念であり続けているのは「”引き算”によって成り立っていることと、その世界観がその時代その時代の資本主義、勝利主義、加速主義のアンチテーゼとして機能し続ける特徴をそなえているから」と読み解く。「会いたい気持ちは人を動かす」「センスとは経験知からくる咄嗟の判断力」「SNSやマスメディアが反応するのは、『事件』『実験』『意見』の3要素」などの分析も面白い。


とにかく、そこここに拾いたいフレーズが満載で、非常に面白かった。全てを信じるわけにはいかないが、参考になるところは多く、ぜひ、一読をお薦めしたい。

【読了】木村三郎「名画を読み解くアトリビュート」

今年23冊目読了。日本大学芸術学部教授にして、西洋美術史を専攻する筆者が、西洋絵画における「お約束」の決まり事を紹介する一冊。


単体の書籍として見るより、様々な絵画の鑑賞の際に参考書、いや辞書的に使うべき本というところか。初心者にもわかりやすく書いているのは好感が持てる。


アトリビュートなんて言葉は初めて聞いたが「アトリビュートとはだれが見てもわかるように決められた、一種の約束事としての目印」「例えば、薔薇というアトリビュートは、『私はヴィーナスですよ』という名札のような役割を果たしている」と説明されると、なるほどと感じる。となると、「アトリビュートを認識することは、西洋美術を理解するための、ひとつのきっかけとなりうる」も納得できる。


西洋絵画の楽しみ方として「作品を眺め、鑑賞するときには、西洋美術の主題や寓意を扱う図像学の文献を使いこなすことがひじょうに重要である。なぜなら、それが作品の『読み方』のひとつの有効な方法となりうるからである」「美術館に無数にある作品をただ漫然と眺め歩くのではなく、ひとつの作品をじっくり観察する。そして部分に着目する。これがまずは基本である」なんて、まったくイメージもしたことがなかった。美術鑑賞とは高尚な趣味であることが、このあたりからもうかがえる。


具体的には「ヴィーナスの手には薔薇、聖母マリアには百合、殉教者には棕櫚。コンパスは正義、砂時計は死…」など、知らなければまったく意味不明(というか気にも留めない)ようなルールがあったということを知り、本当に驚くばかり。とうてい頭に入れ切ることは不可能であり、その意味でも、辞書的に使うべき本なんだろうな。


「なによりもまず、作品をじっくり眺めてほしい。なにが描かれているのか、ひとつひとつを確認しながら考えることが大切である」という筆者の論を俟つまでもなく、絵画鑑賞は知的労働ともいうべきものであることが、この本を読むと感じさせられる。そして、それだけのアトリビュートを織りなしてきた西洋美術の積み上げの重厚さを感じずにはいられない。

【読了】木村泰司「名画の言い分 巨匠たちの迷宮」

今年22冊目読了。西洋美術史家の筆者が、西洋絵画の巨匠の人生を名画と共に振り返り、込められたメッセージやその意義を描き出す一冊。


半分は知らない(※あまりに自分が無知なだけだが…)画家だったが、それでも、その人生のあまりの波乱ぶり、そして歴史に翻弄される、またときに歴史を動かしていく様を見て、本当に楽しく読め、さらに西洋絵画の背景までわかる、という優れモノの本だ。筆者の圧倒的な知識と、流れを読み解く力、それを言語化する力が相俟って、非常に読みやすい。


「16世紀末から18世紀初頭は、美術史上では盛期ルネサンスバロックロココなどと呼ばれる時代にあたり、後世、私たちは尊敬と親しみをこめて、この時代の大御所をオールド・マスターズと呼ぶ」として8人のオールド・マスターズを選び、「必ず作品には、画家本人の姿が投影されてしまう。時代が、あるいはスポンサーが、画家にその絵を描かせたとしても、一人の人間としての魂としての叫びが、必ずその絵筆の先に宿っている。ならば、その絵を描いた画家自身は、どのような人生を送ったのかを知ることで、彼らが遺した作品をより深く感じることができるのではないか」と、本のテーマを説明する。


それぞれのストーリーが深くて面白いので、さわりの部分だけ。
カラヴァッジオ:「聖なる物語を世俗的な空間に持ってきて、その辺を歩いている普通の人をモデルに描いた。革新的な表現のしかたは、美術に対して審美眼のある人々や、若い画家たちからは絶賛された。しかし、多くの一般信者はあまりにも現実的・世俗的過ぎると感じた」
ルーベンス:「キャリアを築いていった若いころと違い、絵画界の頂点に立ったルーベンスの絵画世界は、より私的な装いを帯び始めた。彼自身の内面や思想が、画面に強調されていった」
●ベラスケス:「ベラスケスの評価が宮廷内でも高まっていったのは、宮廷画家としてよりも、寧ろそれ以外の宮廷職での活躍によるところが大きかった。ベラスケスもたいへんプライドが高い野心家で、彼自身、画家としてよりも宮廷の職員として国王に仕えているという意識のほうが強い人だった」
プッサン:「『感覚より知性に訴えるために、色彩よりもフォルムと構成を強調すべきである』というプッサンの指針が、フランスの王立絵画彫刻アカデミーのクレドラテン語の『私は信じる』から転じて、宗教上の信条)となった」
●ロラン:「風景をスケッチするだけでなく、しっかりとした構図を踏まえた上で自由にアレンジし、アルカディア(理想郷)を創造した。彼はスケッチされた風景をモチーフに、カンヴァスの上で計算して理想的な風景を創り出した」「ロランの世界を鑑賞するには、描かれた世界を『読む』知性と、そこに広がる世界観を感じる感性が必要。そうした意味で、理性を重んじてきた西洋絵画の中で、ロランの作品は最も早く人間の感性に訴えたものといえる」
レンブラント:「レンブラントを凋落へと追い込んでいったのは、市民社会の移り気と、彼の浪費癖」
フェルメール:「フェルメールが描いた風俗画は、日常生活のワンシーンを描いているだけではない。プロテスタントを主流とするオランダ社会らしく、他の画家の風俗画と同様に、信仰への導きがこめられている。フェルメールはそれを卓越した筆致によって静かにつつましく、そしてエレガントに描いている」「市民階級を描いているのに品格を感じさせるあたたかみのある筆触は、彼独特の持ち味」
●ヴァトー:「ルイ14世の死は、王の絶対権力という呪縛からフランス国民を解放した。同時に、王によって支配されてきたフランス絵画もまた、その呪縛から解き放たれた。フランス絵画は絶対君主の重厚で理性的な絵画から、貴族たちの軽やかで感覚的な新しい時代を迎えることになる。そう、ヴァトーが生みの親と称される、ロココ絵画」


全く西洋絵画に興味がなかった自分でも面白く読めたのだから、やはり筆者の言う通り「若いころにはたいして魅力を感じなかった文学や絵画なども、年齢を重ねていくと改めてその魅力を認識したりするもの」なのだなぁと感じる。美術に興味のない人こそ、読んでみてほしい一冊だ。