世界遺産マイスター/国宝の伝道師Kの「地球に感謝!」

世界遺産検定マイスター、国宝の伝道師保有の読書好き。書籍、世界遺産、国宝という切り口でご案内します。最近は「仕事の心理学」として、様々な事象を心理学的見地から考察しています。

【読了】奥田弘美「『会社がしんどい』をなくす本」

今年38冊目読了。精神科医にして産業医の筆者が、いやなストレスに負けず心地よく働く処方箋を書き著した一冊。


現代社会で、このテーマは非常に切実。なので読んでみたところ、実例を挙げてわかりやすく解説してくれているなぁと感じた。


筆者は昨今のしんどさを6つに分類し、「同調圧力:会社で人とちょっと違うことをしただけで非難される。過緊張:IT化が進み仕事が効率的になった反面、忙しさのあまり自律神経がやられる。変化ストレス:異動やプライベートの変化でストレスが倍増する。成果ストレス:仕事の質量ともにハイレベルを要求される。人間関係ストレス:パワハラ、セクハラが代表的。リモートワーク:新しいストレス源」とする。
また、心の危機の時期は3つあるとし、「①若手:学生時代の延長から社会人へと上手に意識を切り替えないと大きな壁にぶつかる。②中堅:中間管理職となるとともにプライベートでも結婚や出産などの変化が有、公私ともに多彩なストレスを経験する。③ベテラン:肉体的に老化が始まるため健康不安もストレスとなり、それまでの働き方の総決算となる」と分析する。


仕事への構えとして「自分なりに“つかず離れず”のスタンスで仕事にのぞみ、同調圧力をかけてくるグループとは必要最低限の関係をキープすることが、組織で生き抜くコツ」つらいときには「①会社員人生は長い、とにかく焦らない②周りの人と自分を比べない③仕事を抱えすぎていないか?」のあたりは、もっと早く知っておきたかったなぁとすら思う。


筆者は、セルフケアのポイントとして「睡眠、食事、運動、こころ」をあげ、心のケアの基本として「自分の心と向き合う時間を持つ」と述べるが、言うは易く行うは難し…いずれにせよ「心身の休息時間をしっかり確保するためには、休日には『仕事から完全に離れられる時間』が必要」はそのとおりだし、ストレスと上手に付き合っていく指針としての3つのR「Rest:休息と睡眠、Relaxation:くつろぎ、Recreation:気晴らし」の順番を意識することは大事だと感じる。


アラフィフのオッサンとしては、上司がパワハラを防ぐには「できるだけ普段からコミュニケーションを密に取り、部下の『仕事に対する価値観やニーズ』を知っておく」。コミュニケーションエラーを防ぐには「①会話を『聴く』→『質問する』→『伝える』の3ステップで捉える②『聴く』ときにはしっかり共感する③『質問する』ことで相手の価値観やニーズを探る④最後にこちらのアドバイスや意見を『伝える』」は押さえておきたい。さらに言えばベテラン社員が組織人として最後まで生き抜くためのポイント「①仕事の好き嫌いに振り回されない、キャリアにこだわりすぎない②声をかけやすい人になる、妙なプライドは捨てる」は大事だ…


セルフチェックにも、周囲へのサポートにも応用できるテクニックが多く、簡易ながら有益な本だと感じた。

【読了】河合香織「老化は治療できるか」

今年37冊目読了。ノンフィクション作家の筆者が、アンチエイジング研究の最前線を追う一冊。


面白いテーマではあるのだが、まだまだ科学的には研究途上なので、これといった結論がないのがもどかしい。しかし、こうした考察は大事だろうな。


なぜ死が恐ろしいのか。筆者の「人は必ず死ぬことは理解していても、自分自身に限ってはその真実を簡単には受け入れられない。そこには多くの人と関わりながら生きてきた過去の時間や、この先に描いている未来があるからだ」は、正鵠を射ているように感じる。


寿命についてなるほどと思ったのは「生物は、それぞれ進化のなかで最適な生存戦略を選択してきた。人類の最大寿命はなぜ120歳なのかという、その理由もまったくわかっていない」「人間は知能の発達によって、衛生観念が生じたり、天敵を駆逐したりして、本来の寿命を大幅に延長してしまっている。遺伝子レベルではそのような状況に適応していないので、色々な問題が生じる」のあたり。


また、老化についての「老化が緩やかな坂で進むのではなく、階段のようにある時点でガクッと進むのは、老化が遺伝的にプログラムされているから。生物はみんなそうで、そうしないと種が発展していけない」「老化防止の最大の難関の一つは脳。取り替えが限りなく不可能に近い臓器であるため、その老化をいかに防ぐかは老化研究の最大のテーマ」という言及も、なかなか興味深く読めた。


老化や寿命への対策?として挙げられている「睡眠は加齢とも関係している。不十分で良くない睡眠を続けていると加齢関連疾患が加速する」「光を調節して体内時計を整えることは、老化をコントロールすることにつながる」「社会的つながりは、最大寿命にも健康寿命にも関わる」「脳の老化を防ぎ、幸せな老後を過ごすための基本は、結局『運動』」「趣味や好奇心が脳の健康を保つために必要なのは、脳の可塑性。可塑性とは変化する力のことで、脳は何歳からでも変化に対応する力が備わっている」「脳は使えば使うほど伸びるので、『年を取ったから自分にはできない』と思う必要はまったくなく、脳科学的にも間違い。英会話でも勉強でも必ずできるようになる。それが結局は脳を健康に保ち、幸せになる秘訣」のあたりの指摘は、非常に体感としても納得感がある。


人生100年時代と言われていても、やはり健康寿命が大事。そもそも、生きるとは何のためなのか?ということを含めて、考えるきっかけにはよい一冊と感じた

【読了】長谷川ヨシテル「キテレツ城あるき」

今年36冊目読了。歴史ナビゲーター・歴史作家の筆者が、ユニークな城の特徴をまとめた一冊。


軽妙な筆致で、何気なく深い知識が入ってくるので、このシリーズは楽しく読める。城好きならもちろんのこと、歴史好きが『城好き』に目覚める助けになるかもしれない。


個別の説明はかなり深いものがあるのだが、主に気になったところを挙げるだけでも「洲本城天守は1928年に完成。1910年に岐阜城に模擬天守が完成しているが、1943年に焼失してしまったため、現存の再建天守では最古」「大和郡山城の石垣には石仏や石塔などの転用石が多い。罰当たりのような工事が行われたのは『豊臣家の威光を示すため』と『大和(奈良県)の石不足』によるもの」「徳島城は1586年築城。阿波踊り徳島城完成のお祝いとして『城下で好きに踊ってよい』と蜂須賀家政が御触れを出したことに始まるとも言われる」「江戸城は、戊辰戦争の際に新政府軍に明け渡されて『東京城(とうけいじょう)』と改名。翌1869年に明治天皇が東京に移り『皇城(こうじょう)』、後に『宮城(きゅうじょう)』となり、戦後に『皇居』と改称された」「安土城の謎は、誰が焼失させたからわかっていないことと、天守の姿がわからないこと」「難攻不落と言われる岐阜城だが、実は七回落城している」「伏見城は三つある。秀吉による『指月伏見城』『小幡山伏見城』と『徳川伏見城』」と、これだけ興味深い。


また、城だけでなく「大名には、<城主格>という『お城は持ってはいけないが、お城を持ってもよい大名<城主>と同じランク』があった」「大名とは一万石以上の石高のある江戸幕府の家臣だが、お米が取れない松前藩の石高はなんとゼロ!全国で唯一の『無石』の藩。ただ、アイヌとの交易の独占権を幕府から認められていたこともあり、蝦夷の水産資源と森林資源で大いに栄えた」なんて豆知識も楽しい。


なにげになるほどなぁと思ったのは「お城や歴史に関して、言っている数字と合計が合わないパターンはあるある。『日本三名城』は姫路城、熊本城、名古屋城大坂城。『賤ヶ岳七本槍』も当初は九人もカウントされているし、最上義光を支えた『最上四天王』は合計六人」のあたり。結構いい加減なんだな…


ライトな感覚で深いことを伝えるというのはそれなり技量が必要なので、筆者の意外な?レベルの高さに感心した。

【読了】柏井壽「京都の定番」

今年35冊目読了。歯科医院にしてエッセイストの筆者が、京都の定番を押さえて楽しむことを提唱する一冊。


京都観光の書籍は山ほどあるが、確かにこういう感じの本はあまりない。


筆者は、まず「何事も、定番を知らずして、深く理解することはできない。何事も、定番を知らずして、本当に愉しむことはできない。すなわち、定番を知らないと、その魅力は半減してしまうのだ」と主張。
定番の楽しみ方として「まず疑問を持ち、解明しようとし、そして答えが見つかったときの喜びは格別のものがある」「名所の名物のみに目を向けるのではなく、その周りにあるものにも心を留めてみたい」「名所へと辿る道筋、周辺にあるゆかりの地まで対象を広げると、様々な物語が浮かび上がってくる。これこそが名所再見の勘どころ」というのはなかなか共感できる。


京都の名所についての「東寺は平安京の景観を偲ぶことができる唯一無二の遺構」「本来、寺院の金堂や本堂は南面を向くのだが、浄土の思想で西方極楽浄土に向くよう、東向きの阿弥陀堂が数多く造営されるようになった。平等院鳳凰堂がその典型である。お堂の向きひとつで、建立時の思想背景が分かる。これが寺社巡りの面白さ」「<清水の舞台から飛び降りる>。重要な決断をするときの喩えに使われる言葉だが、本来の飛び降りは願掛けを目的として行われていた」のあたりは、知識として押さえておきたい。


また、京料理についても「雅な平安のイメージに厳かな形式を加味したもの。これが京料理の原型で、これを骨格として、様々な料理形式が肉付けされていった」「長い歴史を誇る京都の街は、<伝統>を重んじることで知られるが、一方で<革新>を受け入れる懐の深さも併せ持っている」「京都の料理は、決して薄味ではない。ともすれは大阪よりも濃い」「<おばんざい>という言葉を、標準語に置き換えれば、普段着の食」「看板に<おばんざい>と書く店が次々に現れ出したのは、京町家ブームが始まったのと時を同じくする。京町家という京都らしい舞台装置と、京都らしさを手軽に演出できる<おばんざい>とが合わさって、格好のビジネスモデルが出来上がった」と言及。なるほど、これは知らなかった…


京都は、四季折々の楽しみも良い。春については「京都で愛でる桜は本来<宴>と結び付くものではなく、もっと日々の暮らしに密着しているか、或いは日常と乖離した別世界のもの」「花は静かに見るべかりけり」「散りゆく桜と流れ行く水に、自らの人生を重ねる。それが京都の<花見>」「花だけを見るのではなく、後ろにある背景、花を包む空気をも合わせて眺めることが、京の花見の醍醐味。更には古人の歌や文、辿る歴史とも重ね合わせ、古きに思いを寄せてこそ、都の花をより一層味わい深くさせる」と述べる。
対比的に、秋については「桜と違って、もみじは長く目を愉しませてくれる。その味わいは季の移ろいとともに変わりゆくもの。秋半ば。長雨の後のもみじは、艶っぽく、或いは瑞々しく、その命を長らえている。人に喩えるなら壮年から熟年。もみじ葉には厚みもあり、輝きも見せる。一方で、秋の終わり。冬の足音が聞こえ始め、比叡嵐が都大路に吹き下ろす頃ともなれば、いよいよ、もみじは晩年を迎える。乾いた音は、敷きもみじが、石畳から風に踊り、宙に舞い始める兆し。掌がやがて、老いた手が閉じるように、皺を寄せ、軽く、軽く、まるで天に召されるかのように、風に舞い上がる。師走のもみじが切ない由縁である」とコメント。
夏の「五山送り火は、夏に引導を渡す役目を果たしている。赤い火は京都の夏のエピローグ」は、京都人でないと感覚として掴めないように思う


さらりと読めて、24年4月から京都に住むことになった身としてはなかなか勉強になる。そのほか「<弁えて用に当てる>のが弁当の語源」「京都人は『祇園祭』の間、胡瓜を食べない。それは、祇園祭を行う八坂神社の神紋が胡瓜の切り口によく似ているから。ただそれだけの理由」「<旨い>は<甘い>から派生したと言われているように、食事はある意味<甘み>を愉しむもの。<甘み>は人の気分を昂揚させるが、いつまでも昂ぶっているわけにはいかない。<食>から次の時間へと切り替えるための切っ掛け。<食>によって昂ぶりを抑え、心を鎮めていく。それが実は<苦み>の役割」のあたりはかなり驚いた。なるほどなぁ。やはり知るということは面白い。

【読了】永井路子「この世をば(上下)」

今年33・34冊目読了。ベストセラー作家の筆者が、藤原道長と平安王朝の時代を圧倒的なボリュームで書き表した本。


当然、NHK大河ドラマ「光る君へ」が大当たりなので読んでみたというところ。そして、これがまた実に読み応え十分!道長を「圧倒的な成功者」としてではなく、平凡な三男坊が右往左往しながら権力闘争を泳ぎ抜く、という筆致が素晴らしい。
この時代の捉え方として「摂関体制という言葉にひかれて、この時代を摂政や関白などの独裁の時代と考えがちだが、決してそうではない。天皇、大臣に加えて、きさきと母后が、複雑にからみあい、それぞれ影響力を持ち合うのがこの時代の特色」「当時の天皇は、決して藤原氏に唯々諾々と操られるロボットではなかった。そして摂関と呼ばれる権力者たちも、簡単に天皇のすげかえのできるほどの権力者でもなかった」「母后と能吏、実は彼らはこの時代の影の主役なのだ」は、確かに歴史の授業とはあまりに違う感覚で興味深い。


道長については「それほどの深謀もなく、無我夢中で明子に近づいただけのことなのだが、気がついてみると、それが大きな人生の布石になっている…これにかぎらず、道長の人生にはそんなところがある」「腹を据えてみると、いつ、何をやるべきか、覚悟がきまってくる」「ごく常識的な道を、ゆっくり、やや大真面目に進む。見栄えはしない代わり、少なくとも批判を浴びることを避けるだけの効用はあった」「平凡児の取柄は、凡百の政治家のようにこれを自分の力だと思い上がらないところにある。平凡児の常識、政治における平衡感覚とでもいうべきか。しかし案外歴史の中で強みを発揮するのはこれなのだ。平凡児がおのれの摑んだ幸運におののきつつ、ときにはその幸運に押しつぶされそうになりながら、何とか平衡感覚を失うまいと苦闘するときに、かろうじて困難を切り抜けることができるのだ」とする。望月の歌からは想像もできないギリギリのラインを過ごしていったことは、この小説でよくわかる。


貴族の風潮に対しては「正面切って勝負するほどの度胸はもともとない。向こうが餌を投げてくれば、喜んで飛びつく」「彼らが後宮の近くをうろつくのは、そこに何かの出世の手づるがありはしないかと思うから」「栄華をきわめた人々の背後には、彼らに蹴落とされた数倍、いや数十倍の人々の怨念がつきまとっている。だから、勝利者がいったん体の調子を崩したとなれば、その弱みにつけこんで、得たりとばかり襲いかかってくる」とあるが、これって、現代社会にも同様だよな…


女性筆者らしく「女は一様に恋をし、結婚をし、母となると思っていることこそ錯覚なのだ。ある女にとって恋は豊かでも結婚は貧しいということもある。あるいは恋は貧しく、母としてみのりが豊かなときもある。そして、どの部分も豊かだということはほとんどあり得ず、またその豊かさ貧しさは、ある意味で幸、不幸とも無縁でさえある」「母親というのは、自分以上に息子に愛される存在などあるはずがない、と確信している。もしそういう女性がいたとすれば、それは息子をたぶらかす悪女にきまっている。そう思ったとき、母は無限に強くなる」「たいていの場合、女の言い分は正論である。正論過ぎるほど正論だからこそ、男は沈黙する。が、沈黙は肯定ではなく、まして敗北ではない。現実はまた別なのである」のあたりの表現はさすが。


また、孫かわいさという点についての「新しい生命が誕生したとき、祖父や祖母は、誰しも心をときめかせてその未来図を夢みる。あるいはその子が成人するまで自分たちはこの世にいないかもしれない。それだからこそ、未来図はますます虹色の広がりを持つのである」という指摘は確かにそうかもしれない。頭では理解できるが、体感しないとわからんのだろうな。


政界が乱れきっている2024年においても「いつの世でも為政者というものは、政策を打ち出すことには熱心だが、その結果には、あまり責任をもたない」「政治の世界は、一種のルール社会である。その枠の中で、いかに悪知恵を働かせて合法的に拡大解釈をするか、あるいは既成事実を積み上げて法の骨抜きをはかるか、政治家の腕のみせどころはここにある」の指摘が全く当てはまる。こんなの、当てはまらなくていいんだが…


その他、筆者の記述で心に残るのは「苦境にあるときは、誰もあてにしてはならない。誰も信用してはならない」「何事によらず、理由などというものはどうにでもなるものだ。ちょっと探す気になれば、事の起こった後から、それはのこのこと集まってくる」のあたり。それにしても「人生とは何と悲しく、何とおかしいものなのか。もっともその当事者だけは、いたって大まじめなのであるが…」とは、本当にそのとおりだな…

【読了】ダニエル・ピンク「When 完璧なタイミングを科学する」

今年32冊目読了。21世紀型の動機づけ理論を提示した筆者が、時間生物学に注目した「When to」タイムハックを唱える一冊。


知遇を得た畏友が薦めていたので読んだら、なるほど面白かった、という本


サーカディアンリズムから「感情のバランスは午前中に上昇し、午後に下降したのち、夕方に再上昇する」「体温の上昇により、エネルギーレベルと注意力は次第に高まる。すると、次にわたしたちの実行力や集中力、演繹力が高まる。ほとんどの人にとって、こうした鋭敏な分析能力は、午前中の遅い時間、もしくは正午頃にピークに達する」「イノベーションとクリエイティビティは、わたしたちが最高の状態でない場合(夕方)に最大の力を発揮する」と読み解かれると、結構びっくり。とはいえ「4人のうち1人は、ほかの3人とは異なる時計を持っている」「高校から大学の年頃はフクロウ型に偏るように、60歳以上と12歳以下はヒバリ型に偏る。男性は一般的に女性よりもフクロウ型」ということも留意が必要か。


午後に注意力が落ちないようにするには、昼休憩に「①何もしないよりも何かしたほうがいい②動かないより動いたほうがいい③1人で過ごすより誰かと過ごしたほうがいい④屋内よりも屋外で過ごしたほうがいい⑤中途半端に離れるより完全に離れたほうがいい」「昼食時に仕事以外のことに意識を移せば、疲労感を下げる」「昼寝をする。静かな環境を作り、コーヒーを一杯飲み、タイマーを25分に設定し、一貫して繰り返す」は、確かに眠気に悩むタイプなので納得。


また、人間の特性として「人は中盤で手を抜きやすい」「人生の中間点で幸福感が落ち込むのは、希望が実現しなかった事実に落胆するから、または生物学由来」「中年のスランプに立ち向かうには、①目標に優先順位をつける②ミッドキャリア層のためのメンターシップを導入する③ポジティブな出来事を頭の中から取り除く④自分を思いやる短い文章を書く⑤待つ」のあたりは、まさに中年まっただ中にある自分としては参考にしたい。


集団のタイミングの原則は「①外部の基準がペースを定める②個人が結束するために帰属意識が役立つ③同調は必要であると同時に幸福感を高める」「集団はボス、仲間、ハートという3つのレベルで、タイミングを一致させる必要がある」だという主張も体感と一致する。


筆者の「結局のところ、わたしたちは意味を求めているのだ」は、全く共感できる。けっこう面白く読めた。

【読了】垂水雄二「悩ましい翻訳語」

今年31冊目読了。主に科学分野の翻訳を行う翻訳家の筆者が、科学用語の由来と誤訳を探る一冊。


なかなかマニアックな中身だが、案外読み応えがあって面白かった。確かに、翻訳語は魔窟だよなぁ。


翻訳語の難しさについての「訳語の選択は異文化コミュニケーションの根幹にかかわるもので、歴史的にも漢語から日本語への翻訳に際して、多くの先人を悩ませてきた。しかし西洋語から日本語の翻訳は、言語学的・文化的な背景がまるで異なるため、さらに大きな困難がともなう」「学者にとっての文献は基本的に漢文だった。杉田玄白の『解体新書』の翻訳はオランダ語を日本語に訳したのではなく、漢文に訳した。そこには、同じ漢字を使うことによる誤解の可能性が常に存在した。さらに厄介なのは、最初の英華辞典をつくったのも、英和辞典をつくったのも、宣教師たちであったこと。中国語と日本語に関しては同じ文字を使っていることからくる安易な流用が、誤った訳語の定着に関与していた可能性は非常に大きい」という指摘はなるほど納得だ。


動物系で知らなかったこととして「英語のlocustは、バッタ類のほかにセミの意味もある」「dolphinは、イルカと訳してなんの問題もないように思えるが、英米文学では魚のシイラ(ハワイではマヒマヒと呼ばれる高級魚)を指すことが多い。ヘミングウェイの『老人と海』の初期の翻訳では、シイラがイルカと訳されていた」「リムスキー・コルサコフの楽曲『クマンバチの飛行』は本当は『マルハナバチの飛行』が正しい」「バンドウイルカは正しくはハンドウイルカ。字は『半道』で、古くから中国から能登半島までの日本海沿岸で使われていた呼称だが、鯨類教授の提唱が誤ったこと、言葉の響きがいいことから広く受け入れられるようになった」「ホンソメワケベラは、ソメワケベラより細めの体なのでホソソメワケベラという和名がついたが、この『ホソ』が誤植によって『ホン』となり、いつのまにか定着してしまった」「ゴキブリは、『ゴキカブリ』が脱字によって『ゴキブリ』となっていて、それを教科書が採用してしまったために、正式な和名として定着してしまった」のあたりはなかなかびっくり。
さらに「抗生物質antivioticsは、実際には細菌にしか有効でなく、ウィルスやその他の病原微生物にはほとんど効果がない。本来なら抗菌物質(antibacterial)とすべきだった」「マニュアルというのは、ラテン語のmanus(手)を語源としており、手動、手作業という意味で、もともとは、精神的、理論的なものへの対語だった」のあたりも、そうなのか、と驚嘆する。


漢字にも罠がある。「中東地方から中国に渡来した産物には、胡(正しくは北方や西域の異民族の総称であるが、こうした用法では、現在の中東地域を指す場合が多い)の字がついている。胡瓜、胡桃、胡麻といったものはみんなそうだ。だが、地名がいつも正しい産地を示しているとは限らない。日本で唐の字のつく作物、唐黍(トウモロコシ)、唐辛子、唐芋(サツマイモ)、唐茄子(カボチャ)などは、すべて中国を経て日本に伝わったが、どれも中南米の原産で、大航海時代にヨーロッパにもたらされ、そこからインドなどを経てきたもの」「和名はもともと漢字で表され、場合によって読みがルビで付されていた。戦前の漢字カタカナ混じりで書かれた論文では、地の文と区別するために、生物名はひらがなで書くのが普通だった。戦後、国語改革によって漢字ひらがな混じりの文章が推奨されるのについれて、動植物名はカタカナ書きが通例となった」は、なるほどと思う。
ドイツ語も難しい。「キューティクルは、ドイツ語でクチクラ。そのほかにも、ドイツ語でオルガナイザー(英語ならオーガナイザー)、エネルギー(エナジー)、ヒエラルキーハイアラーキー)などもそうだ」って、まぁ確かにそうだが、普段は気にしない…
人名でも「エルキュール・ポアロは、フランス語を話すベルギー人なので、こう表記されるが、英語ではハーキュリー・パイロットという発音になる」「Hepburnは、当時の日本人にはヘボンと聞こえたのだろうし、自らもそう記しているのだが、この同じ綴りを持つ題詠が女優はヘップバーンと呼ばれた」「映画監督のイングマール・ベルイマン映画女優イングリッド・バーグマンはどちらもBergmanである」は言われれば…という感覚。かくも翻訳は難しいといことか。


余談ながら、脳科学好きとしては「ニューロンのfireを『発火』と訳すのは、どうみても誤訳。このfireは映画などで軍隊の指揮官が大砲や銃の一斉射撃を命ずるあの『ファイアー』に他ならない。『発射』と訳すべきところを誰かがfireの字面にとらわれて、発火と誤訳し、それがまさに燎原の火の如く脳科学者の間に燃え広がってしまった」が笑えた。そうなんだ…